第Ⅴ部 神と人とを愛せよ
ローマ人への手紙
16章1節から16節まで
ローマの集会における聖霊の働き
Ⅰ.命を捧げた、兄弟姉妹のための生活
Ⅱ.忠実・誠実・練達の生活
Ⅲ.自分を虚しくした、主の証しのための生活
この章の主題は、ローマにある集会に対するパウロの個人的なあいさつです。私たちは16章を通して、パウロがどのような境遇におかれていたかを思い浮かべることができます。23節によれば、パウロは友人のガイオのもとで生活していたことがわかりますし、またその前の22節によれば、パウロ自身がこのローマ人への手紙を筆記したのではなく、テルテオに口述したこともわかります。おそらく彼らは朝早くから夜までかかってこの手紙を書き上げたのでしょう。
このときの状況を想像してみますと、ガイオはパウロの様子を見に部屋に入ってきたのかも知れません。あるいは、パウロの同労者テモテが、家庭訪問から帰ってきたところで、また、ちょうどそこへ、市の収入役エラストとクワルトが訪問してきたのかも知れません。そこでパウロは、彼の手紙の結びのことばを手短かに付け加えたのでしょう。けれども、このローマ人への手紙の結びの言葉は決して単なる付録ではなく、非常に重要な意味を持っています。
この結びの言葉は、聖霊の導きのもとで書かれました。それ故、1~16節に書かれた一人一人へのあいさつは、決してパウロの個人的な判断によるものではなく、聖霊の判断によるものです。これらあいさつの箇所を通しても、主は、私たちにみこころを告げようとされているのです。したがって、ここに記されていることは、神、また、聖霊ご自身が、それぞれの信者に対して判断されたことなのです。この言葉は、私たちに勧めと励ましを与えてくれます。
(1)ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。(2)どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。
(3)キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。(4)この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。(5)またその家の教会によろしく伝えてください。
私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
(6)あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。
(7)私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。
(8)主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。
(9)キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。
(10)キリストにあって練達したアペレによろしく。
アリストブロの家の人たちによろしく。
(11)私の同国人ヘロデオンによろしく。
ナルキソの家の主にある人たちによろしく。
(12)主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。
主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。
(13)主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。
(14)アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよびその人たちといっしょにいる兄弟たちによろしく。
(15)フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパおよびその人たちといっしょにいるすべての聖徒たちによろしく。
(16)あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。(ローマ16・1~16)
前の章で私たちは、ローマ人への手紙15章14~33節を通して、聖霊がパウロにどのように働いてくださったかについて学びましたが、この章では、聖霊が当時の集会の一人一人の信者にどのように働かれたかを学んでみたいと思います。パウロの生涯を通して、私たちはパウロの内にあって働かれた主イエスのみこころを知ることができますが、その同じ聖霊が、当時のローマの教会に属する兄弟姉妹一人一人に、与えられていたのです。聖霊は、ローマの信者たちに三種類の形で働かれました。
第一は、他の人々のために生きることであり、そのためには、自分自身の命をも捧げる用意があったということです。
第二は、真実な生き方です。それは、心を尽くして主の御業に励み、主の御業に練達した者となることを意味しています。
第三に、聖霊は、彼らに証しの生涯を与えました。それは自分を無にして主に仕えることを意味しています。
16章のこれらのあいさつの言葉を通して、パウロが一人一人の信者といかに強い心の結び付きを持っていたかがわかります。それでは、ここに記されている一人一人の兄弟姉妹に対して簡単に学んでみましょう。
1~2節には、フィベという姉妹について書かれています。彼女の特徴は、他人のために生きるということでした。この姉妹はギリシャ語で「ディアコノス」という立場にありました。このギリシャ語から「ディアコニッセ」というドイツ語が生まれました。「ディアコニッセ」とは、埃まみれになって働く、という意味です。このフィベはコリント市の港町である、ケンクレヤ教会の僕でした。彼女が一体どのようにして主に仕えていたかはわかりません。姉妹たちの奉仕の主なものは、人々をもてなすとか、病人を看護するとか、貧しい人々をいたわることなどの愛をもとにした奉仕でした。初代教会において、導いたり教えたりする奉仕は普通兄弟の勤めでした。
ところが、神御自身が、例外をお作りになりました。主ご自身が、しばしば、姉妹のくちびるによる奉仕を必要とされたので、いつの時代にも、女預言者というものがあったのです。
アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。ミリヤムは人々に答えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」(出エジプト15・20~21)
そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに登って来て、さばきを受けた。(士師4・4~5)
農民は絶えた。イスラエルに絶えた。私、デボラが立ち、イスラエルに母として立つまでは。(士師5・7)
また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。(ルカ2・36~38)
聖霊は、このフィベについて素晴らしい推薦状を書きました。残念ながら、このように信者について推薦状を書くことは、今日一般にキリスト教会の間ではすたれてしまっています。今でもこの習慣を守っているのは集会の間だけです。いわゆる教会には、会員制度と教会籍の制度があるだけで、信者が移転するとその教会籍を抜いたり入れたりするだけです。この教会籍を持つための条件として、人々は洗礼を受けます。このため、多くの人々が悔い改めなしに洗礼を受けたり、信仰を持たずに教会の会員となります。そして、いつ、だれによって受洗したか、ということが必要以上に重要視されるのです。
聖書に書かれている推薦状には、洗礼の問題は、決して重要視されていません。そのかわりに、彼らが信仰に入ったあと真実を持って主に仕え、主との生き生きとした交わりをその行いによって証ししてきたかどうかが問題とされているのです。フィベは単に洗礼を受けた信者であるというだけではなく、その生活を通して主イエスとの親しい交わりを証ししていました。
このあいさつの箇所には、フィベの他にも多くの姉妹の名前が書かれています。プリスカ(3節)、マリヤ(6節)、ユニアス(7節)、ツルパナ、ツルポサ、ペルシス(12節)、ルポスの母(13節)などです。このことは重要です。それは、この女性たちが福音の勝利を証ししているからです。
当時の女性が置かれていた社会的立場は、今日とは比較にならないほど低いものでした。当時の律法学者とパリサイ人たちは、自分たちの尊厳を守るために決して女性と話そうとはしませんでした。しかし、この16章に書かれていることはそれとは全く対照的です。パウロは、ローマの集会にこのフィベを心からの愛をもって歓迎し、どのような助力をも惜しまないようにと書き送っています。ここで大切なことは、人間的な魅力ではなく、その人が主にある兄弟姉妹であることです。多分、このフィベがパウロの書いたローマ人への手紙を携えてローマにいったのでしょう。当時は、もちろん新幹線などという便利なものはなく、ローマへの旅行は大変な困難と危険を伴いました。女性の場合にはなおさらそうだったでしょう。パウロはこのフィベについて、「助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。(2節)」と書いたのです。
人が新しく生まれ変わったことの証拠は、兄弟姉妹に対するいつも変わらない愛です。パウロはフィベについて、「この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。(2節)」と書きました。つまり、フィベは愛を持ってパウロを助け、守り、また心配したのです。フィベの生活は、他の人々のために心を配り、他の兄弟姉妹に対して益を計るものでした。フィベが兄弟姉妹のことを心配し、彼らのために働いたのは、キリストによって新しくされた性質が現れたためです。主は、私たちに対してフィベのような生き方、すなわち、他の人々を助け、他の人々のために心を砕く生き方を望んでおられます。
3節から5節には、プリスカとアクラについて書かれています。この夫婦は自分自身を捧げて主に仕えており、主のためには自分自身の命をも捨てる用意がありました。ここで注意すべきことは、妻の名前が先に書かれていることです。このことは、プリスカのほうが夫よりも熱心で、重要な働きをしていたことを表しています。パウロは、別にレディー・ファーストのつもりでプリスカの名前を先に書いたのではなく、プリスカが、主によって大切な働きをしていたから先に書いたのです。これは聖霊の価値判断でした。すなわち、聖霊がそれを適当と判断されたのです。使徒の働き18章1~3節には、彼らがユダヤ人であるがゆえに、ローマ皇帝クラウデオによってローマから追放されたと書かれています。
その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。(使徒18・1~3)
彼らはローマからコリントに行き、そこで第2回目の伝道旅行でコリントに来たパウロに出会ったのです。彼らはパウロと同じ天幕作りでしたから、パウロを家に迎え入れ、ともに働いたのです。パウロは行く先々で福音を語りました。そのようにしてプリスカとアクラは福音を聞き、コリントの集会の最初の信者となったのです。パウロは、この夫婦を伴ってコリントを去り、エペソに行きました。ここで彼らがパウロの伝道のための準備をしたことがうかがえます。ある日、彼らは神の言葉を宣べ伝えていたアポロという人に出会いました。彼らはたちまち、このアポロには最も大切なものが欠けていることに気づきました。そこでプリスカとアクラはアポロに救いの道を説き、十字架の意味や主の復活について教えました。こうしてアポロは主の救いを自分のものとすることができ、聖霊の宮となることができたのでした。
さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。(使徒18・24〜28)
エペソにはプリスキラとアクラの家があり、そこで彼らは集会を持っていたことがわかります。
アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。(第一コリント16・19)
エペソにおいてパウロは、銀細工人たちによって、生命の危険にさらされました。
もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。(第一コリント15・32)
兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。(IIコリント1・8~9)
このことでパウロは、銀細工人たちを獣という言葉で表現したのでしょう。このように、パウロが命の危険にさらされているとき、プリスカとアクラは自分たちの命をもかえりみないで、パウロを危険から救いだしたのです。このあと、プリスカとアクラは再びローマに移り住みました。そこでも同じように彼らは一軒の家を買い、集会を持ちました。そこには、いろいろな人々が出入りし、多くの人が福音を聞いたのです。
やがてパウロが囚人としてローマに到着した時には、プリスカとアクラはもはやローマにおらず、再びエペソに移っていました。その時プリスカとアクラは、テモテとともに集会の責任者でした。パウロは彼らを、「私の同労者」(3節)と呼んでいます。主イエスに対する愛のゆえに、彼らは住む場所を何度も移りました。それは、兄弟姉妹の益のためになされたことでした。彼らの基本的な態度は、兄弟姉妹のために命を捧げて仕えることでした。
彼らは、他の人々を助けるために用いられていただけではなく、その命をも捧げる用意がありました。「私たちは、死ななければならないのでしたら死にます。」というのが彼らの決意でした。パウロは彼らについて4節で、「この人たちには、私だけではなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」と書いています。ここでは、ユダヤ人と異邦人の区別はもはやなくなっています。兄弟姉妹のために命を捨てる用意のある信者を、主は今日でも必要とされています。
次に、エパネトについて学んでみましょう。この人については5節に、「アジヤでキリストを信じた最初の人」と書かれています。彼の信仰は一時的なものではありませんでした。何十年という長い間、主に忠実に従ったのです。おそらく彼は、彼の集会にあって、大黒柱のような存在であったと思われます。パウロは、彼のことを、「私の愛するエパネト」と呼びかけています。おそらく彼は、プリスカとアクラのもとで仕事をしていて、彼らとともにローマにやって来たのでしょう。マリヤについては、エパネトと同様プリスカとアクラのもとで働いていたか、あるいは乳母のような者であったと考えられています。パウロは、彼女についてすばらしい一節を書き記しました。6節で彼女は、主にあって「あなたがたのために非常に労苦した」と書かれています。彼女は本当に一生懸命、主に仕えました。
アンドロニコとユニアスは、ともに使徒でした。新改訳聖書によると、彼らは使徒ではなかったと誤読されてしまう危険があるのですが、実際には、彼らは使徒として人々の間によく知られていました。彼らは使徒でしたから、特別な召しを受け、主によって遣わされ、福音を証ししたのです。彼らは、パウロとともに投獄された経験を持っていました。それがいつどこでであったかは記されていません。使徒の働きには、パウロが体験したすべてが書かれているわけではありません。後の時代にローマの教父であったクレメンスは、パウロは七回投獄されたと書いています。アンドロニコとユニアスは、イエス・キリストの名のゆえに投獄される用意がありました。彼らの心は主のために燃えていましたから、心から主に仕え、未信者のために努力したのです。
アムプリアトも、聖霊によってパウロの愛するものとなったことが証しされています。(8節)これは、彼が心から信頼するに足る人物であったことを示しています。主イエスによって、パウロとアムプリアトの心は深く結び付けられていました。
ウルバノは、パウロの同労者であると書かれています。このことから、パウロは主にあって、この兄弟と心を一つにしていたことがわかります。
スタキスもまた、パウロの愛するものであると書かれています。パウロは、この兄弟についてどんなにか大きな愛と喜びをもって思い浮かべていたことでしょう。
アペレは、「練達した者」と呼ばれています。キリストにあって練達した者であるということはすばらしい証しです。「練達した」とは、試験済みの、という意味であり、アペレは様々の試練を経て「練達した」者と呼ばれるようになりました。彼はいろいろな誘惑の中にあって、はっきりとした態度を取り続けて来たのです。その当時、信仰のゆえに死の危険にさらされるということは、決して珍しいことではありませんでした。にもかかわらず、アペレは主に対する信仰を堅く守り続けてきたのです。アペレは、迫害に対する態度の点でも、自己を捨てて人を愛する点でも、謙遜さでも、真実さでも、主に対する熱心の点でも、そして、忠実さにおいても練達した者でした。
また、10節には、「アリストブロの家の人たちによろしく」と書かれています。このアリストブロとは、おそらくヘロデ王の孫で詩人としてローマで私的生活を営んでいた人であろうと言われています。パウロが直接アリストプロにあいさつを送っていないのは、彼が未信者であったか、あるいは既に亡くなっていたかのいずれかであったためと思われます。しかし彼の家に仕えていた人たちの何人かは主を信じる人たちであったため、パウロは喜んであいさつを送ったのです。
11節には、ヘロデオンの名前があげられています。パウロは、祈りの中に彼を覚え、彼にあいさつを送りました。また、ナルキソの家の人たちの中にも主を信じる人たちが生まれました。ここでも、ナルキソ自身には、直接にあいさつが送られていません。これは、アリストブロの場合と同様に、彼が未信者であったか、あるいは既に亡くなっていたかのどちらかであったことを示しています。ここで、「家の人たち」と書かれている人々は、おそらくその家に仕える奴隷だったのでしょう。彼らは、その立場にもかかわらず、福音を聞いて自分から主を受け入れ、信者となったのでした。
次に、二人の姉妹、ツルパナとツルポサの名前があげられています。彼女らは、自分自身を捧げて、主のみに仕えようという決意を持った人々でした。また、ペルシスも愛されている姉妹であると書かれています。彼女もまた「主にあって非常に労苦した」というすばらしい証しを受けています。
以上に述べましたように、ここには本当に多くの兄弟とともに多くの姉妹の名前があげられています。今日多くの姉妹方は、家庭の仕事以外の仕事をすることは難しいと考えておられるのではないでしょうか。また、救われていない身近な人々に対する責任を真剣に考えず、自分をも主が用いようとされていることに気がついていない方が少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。自分のことだけを考え、自己中心的に生きることを主はだれにも許しておられません。ペルシスは、家事だけに埋没してしまうことはありませんでした。また、彼女は自分の属する集会の事柄だけに目を向けるのでもありませんでした。彼女の主によって働く愛の心は、他の地方に住んでいる信者に対しても向けられていました。
次のルポスについてはマルコによる福音書に次のように書かれています。
そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。(マルコ15・21)
このようにして、ルポスの父は十字架を担うものとなったのです。ルポスの父が十字架を担うことによって、その子のルポスもまた、主の祝福にあずかる者となりました。彼の母もまた模範的な信者でした。その母についてパウロは13節に、「彼と私との母」と書いています。彼女は実の母のようにパウロのことを心配し、面倒をみたのに違いありません。パウロは、このことについて心から喜び、こうして彼女を実の母とまで思うようになったのでしょう。
16章14~15節には、人々の名前が二つのグループに分けて書かれています。この人たちは、おそらく別々の家庭集会に集っていた人たちであろうと思われます。当時のローマでは、いろいろな場所で集会が持たれていました。これらのすべての信者たちは、ともにローマの集会に属する人々でしたが、彼らは同時にいろいろな場所で家庭集会を持っていました。主に対する忠実な思いが、彼らに自分の近くにいる人々に対する責任を感じさせたのです。16節には、「聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。」と書かれています。新約聖書の中には、この「聖なる口づけ」という言葉が、五度書かれています。
すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをなさい。(第一テサロニケ5・26)
すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。(第一コリント16・20)
聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。(第二コリント13・12)
愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。(第一ペテロ5・14)
「互いに口づけをかわす」ことは、その当時一般に行なわれていたあいさつでした。パウロは民族の習慣を一概に無益なものとして捨て去ろうとはしませんでした。彼はそれらの習慣に対してより深い霊的な意味付けを与えました。それゆえ、パウロは単なる「口づけ」ではなく「聖なる口づけ」という表現を用いたのです。「聖なる」ということは「主に属する」、また「主のゆえに行なう」という意味です。それは、単なる儀礼的な態度ではなく、真心からの兄弟愛の表われでした。この節を通して、私たちは信者が互いに持っていたつながりを知ることができます。これは決して人間的なつながりではなく、聖霊によって一つにされた人々のつながりでした。
最後にパウロは、「キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。」と書き記しました。彼らは、まだお互いに面識はありませんでしたが、「主によって一つの体である」ということをよく知っていたからです。
ここまで私たちは、当時の集会とその集会に属する信者たちがどのような状態にあったかを学んできました。私たちは彼らについて学んだ後で、自分自身について考えると恥ずかしい気持ちにならざるをえません。私たちもまた、彼らに習って自分自身の命を捧げて、兄弟姉妹のために生きる者となりたいものです。