新しい天地と古い天地(1998年)
あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。(伝道者の書7章16節)
伝道者の書は、たぐい稀な英知を神様に与えられたソロモン王によって書かれたと言われていますが、今日は伝道者の書の中のこの箇所から、神様が人間の知恵について与えられた警告を、ごいっしょに考えてみたいと思います。いったい、どうして人間に知恵があり過ぎてはならないのでしょうか。それはひとことで言えば、神様からご覧になって人間の知恵はたいへんに愚かだからであります。愚かな知恵は人間におごり高ぶりの思いを起こします。そして自分の知恵に目が眩んで神様を恐れなくなり、自らを破滅に導くことを神様は警告してくださっているのです。
聖書のヨブ記には、人間の知恵についての次のような箇所があります。
神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕える。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。(ヨブ記5章15節)
このみことばを、自分自身の上に当てはめたり、世の中で起こるいろいろな問題に当てはめてみると、ほんとうに私たちの知恵は浅はかで愚かしいものであることがわかります。今日は、この神様の警告を、私が学んで来ました医学の中で、最近著しく進歩している遺伝子工学、遺伝子治療の研究に例をとって考えてみたいと思います。
まずはじめに、最近の遺伝子工学の驚くべき進歩について少しご紹介します。ご存じのように、古くから一定の法則で親から子に気質や顔、形の特徴が伝わることはわかっていました。また家系調査によって色盲や血友病、ダウン症など、いくつかの病気も遺伝することがわかっていました。しかし、分子遺伝学の進歩によって、私たち人間のすべての形状や性質、すなわち、身体的な特徴や、左利き、爪を噛むなどのくせや、内臓の働きや、細胞の中の酵素の働きなど化学的な変化も、すべて暗号として刻み込んでいる遺伝子がそれを決定していることがわかって来ました。
この暗号情報は、私たち人間のからだの一つ一つの細胞の核の中にある二十三組のソーセージのような形をした染色体の成分である、DNAという物質でできた二重の長いらせん状の鎖の中にすべて含まれており、そのDNAの配列に何かの変化や欠陥が生じることによって、いろいろな病気が起こるのです。このDNAの鎖は一個の細胞が二個の細胞に分裂して増える過程で分離して、それぞれの細胞の中にまったく同じ構造の二重らせん鎖のDNAができます。このようにして遺伝情報を組み込んだDNAの鎖は正確に新しい細胞の中に複製され、こうして髪の毛や血液の細胞から精子や卵子などの生殖細胞に至るすべての細胞には、まったく同じ遺伝情報が含まれることになるのです。ですから、親のDNAの配列に何らかの欠陥があれば、その欠陥は、そのまま子どもに伝えられることになります。
このように分子レベルでの遺伝子の研究が進みますと、昔から家系調査でわかっている遺伝病のほかに、心臓病、癌、高血圧、糖尿病、動脈硬化、アルツハイマー病など多くの成人病に罹かるリスクが、たった一個の細胞の中のDNAを調べるだけで、天気予報の確率より高い確率で予測することが可能になります。このような技術は近い将来いろいろな方面で使われることが予想されます。たとえば、生命保険に入ろうとする人の血液の一滴を調べて、その人が将来癌や心臓病などになるリスクが高いことがわかったときに、その人は生命保険に加入したくても断られたり、あるいは特別に高い保険料を要求されたりするということが起こるかも知れません。また、将来癌や心臓病になる確率が高いことが会社の採用時に調べられてわかれば、その人の採用にとって不利になるという事態が生じることも考えられます。また、この遺伝子診断が結婚のときに使われ、その結果によっては破談になることも起こって来るでしょう。このように簡単にDNAの検査によってその人の遺伝情報が他人に知られることが倫理的にもたいへんに問題であることは、おわかりになると思います。
それだけでなく、この遺伝子を操作して、ある種の遺伝病を治療しようという試みも行なわれるようになりました。この方法は欠損している遺伝子を正常な遺伝子と置きかえるというものですが、どのようにして置きかえるのかと言いますと、レトロウイルスというウイルスを使う方法によるものです。このウイルスには人の細胞に侵入して、人の細胞のDNAに自分の持っている遺伝情報を組み込むという変わった性質があるので、この性質を利用してウイルスに正常な遺伝子を運ばせ、遺伝病に罹っている人の欠陥遺伝子を正常な遺伝子に置きかえることによって治療しようというのです。しかし、このようにしてどんどんとDNAに手を加える技術が進んで行くことは、はたして人間に幸せをもたらすことになるのでしょうか。
少し前に、私は「ミューテーション」という小説を読んだことがあります。この小説はロビン・クックという医者が書いた近未来医学小説で、ミューテーションとは突然変異という意味です。その内容を要約してご紹介しますと、医者で分子遺伝学者の夫と精神科医の妻の夫婦が頭脳の優れた子どもを作ろうと計画し、自分たちの受精卵のDNAにレトロウイルスを使って神経成長因子という物質をたくさん作るような遺伝子を組み込みます。そしてお金を払ってある女性の子宮にその受精卵を入れて、その女性に自分たちの子を産ませます。産まれた子が異常に知能の高い子どもであることがわかったとき、親は自分たちの計画が予想以上に成功したことを喜びます。しかし彼らはやがて、その子が年齢相応の子供らしい感情を持った子ではなく、感情の無い、良心がまったく欠落した、知能だけが高度に発達した恐ろしい子どもであることに気づきます。その子が何をしたかというと、親の目を盗んで、密かに遺伝子工学装置を使って自分が親にされたと同じ遺伝子操作を行ない、自分と同じような改造人間をコピーして作り出そうという恐ろしい計画を進めるのです。それを知った父親は自分がたいへんな過ちを犯したことを後悔して、その子を殺し自分も死ぬという、まったく恐ろしい内容であります。これはあくまで小説の話ですが、しかしまったくの空想物語ではなく、すでに私たち人間はその技術を手に入れており、今でもやろうと思えばできないことではないのです。しかし今は、遺伝子の操作は、精子、卵子および受精卵には行なってはならないという世界的な倫理規定があるために、止められているに過ぎません。
一九八二年にアメリカで遺伝子治療は将来どうあるべきか、何をすべきで、何をしてはいけないか、という会議が開かれました。その会議の記録を読みますと、いろいろな議論がなされている中に、ある学者が次のような問題提起をしていました。すなわち、「人に対して直接遺伝子の操作をするということは、人間の存在を脅かすことにならないだろうか、人間の種の自然な流れを変えることにならないだろうか、いったい人類は自らの遺伝的運命を勝手にデザインして変更するような重荷を引き受けるほど賢いと言えるだろうか」と言うのが彼の主張です。この発言は彼の良心が言わせたものであると思います。しかし、また別の学者は、「いかに研究に歯止めをかけようとしても、人間の好奇心はこれを止めることはできない。そもそも医学者、医学研究者というのは、基礎的な研究成果を治療に応用したいという欲求がたいへん強いので、研究を基礎の段階に止めておくというようなブレーキはかけられない。基礎的研究の成果を治療に使ってみたいという思いは、人間に生来備わった性質だから、それを変えることは不可能である」と言っております。いみじくもこの学者の発言は、人間の罪の本質である、とどまるところを知らない欲望を指摘したものであり、それほどに神様を無視した人間の知恵とはたいへんに恐ろしいものと言わざるを得ません。
聖書では人間の欲望が罪を生み、罪が死を生むと言っています。
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブの手紙1章14~15節)
預言者エレミヤを通して神様は次のようにおっしゃっています。
人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。(エレミヤ書17章5節)
「肉を自分の腕とし」というのは自分の思いで、知恵で何でもやろうとすることです。またダビデは次のように言っています。
罪は悪者の心の中に語りかける。彼の目の前には、神に対する恐れがない。(詩篇36篇1節)
私たち人間が自分の知恵を誇り、自分の知恵に信頼して生きるときに、私たちには神を恐れる思いはまったくありません。これが悪者、すなわち創造主であるまことの神様を恐れないという、おそろしい罪に生きる人間の姿です。ソロモンは次のように言っています。
人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。(伝道者の書9章3節)
人間の心は神様からご覧になると、神様から離れ、狂気に満ちているのです。これが罪の中に生きる私たちの状態です。ですから遺伝子工学の研究も、その成果をうっかり人間に適用させることは狂気につながるのです。かつて湾岸戦争のときにアメリカのブッシュ大統領は、イラクのフセイン大統領のことを「彼はほとんど狂っている」と言ったそうですが、それはフセイン大統領に限りません。神様からご覧になると神様に背を向けた人間はだれもが狂気に満ちているような者なのであります。科学が進歩した結果として現われている今日の世界のさまざまな愁うべき状況や、私たちの身近に起こっている医学の進歩の状況を見つめるとき、私はたいへんに恐ろしい気がします。
神様は万物を創造されたとき、私たち人間をご自分に似る者とするために、ほかの生物にはない特別な賜物として神様の息である霊を私たちのからだに入れてくださいました。神様がご自分の御霊を私たち人間の中に入れてくださって、はじめて人間は生きるものとなったのであります。ヨブ記には次のように記されています。
神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを与える。(ヨブ記33章4節)
神様が私たち人間にご自分の息を吹き込んでくださった目的は、私たちが神様と霊的な交わりができるためであり、私たち人間の霊が神様と霊的な親しい交わりを持つことによって、私たちが神様の前に正しく生きるようになるためであります。ところが残念なことに、最初に造られたアダムをはじめとし、その子孫である人間はすべて、自分を造ってくださった神様に従うのではなく、自分の欲を満たすことを目的として、わがままに生きるようになりました。それはアダムが神様に背きの罪を犯した結果、せっかく神様が与えてくださった霊に欠陥が生じ、それが霊の遺伝子に刻み込まれて原罪となり、人間に代々受け継がれているためであります。このように、私たち人間が神様から離れ罪の中に生きる限り、その人間が手にした遺伝子分析や遺伝子操作の技術も、自分の欲を満たすためにしか用いようとしないでしょう。そしてその結果は神様の警告通り、自らを滅ぼすことに終わるでしょう。
パウロはエペソにいるキリスト者に送った手紙の中で次のように言っています。
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生れながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2章1~3節)
パウロの言うように、イエス様を信じない人はむろんのこと、イエス様を救い主と信じる以前のキリスト者もすべて、自分の肉の思いを中心に生きて来たのであり、そのような生き方は神様の怒りを受けて当然です。さきほど申しましたように、私たち人間の霊には最初の人アダムの霊に生じた欠陥が遺伝的に刻み込まれてしまっており、しかもそれは優性遺伝をしますから、どんな人でも罪という欠陥のある霊を持った人間として生れてしまうのであります。この原罪という霊の欠陥遺伝子は、いくら遺伝子操作の技術が進んでも間が修復することはできません。人間の霊は神様から与えられた息ですから、人間の手の及ばない領域、言いかえれば神様の領域に属するものであります。ですから、霊の欠陥は神様だけしか修復することがおできにならないのです。
では、その霊的欠陥はどのようにして修復されるのでしょうか。それは神様が私たちのところへ遣わしてくださった神の御子イエス・キリストによってであります。しかもその修復は、イエス様が十字架の上で流された聖い血と、復活のいのちの力によってなされるのです。イエス様は私たちの霊に生じた大きな欠陥部分をご自分の血と復活によって修復してくださり、修復された霊をイエス様の御霊と結びつけてくださいます。そのとき私たちの霊ははじめて神様のみこころを知り、それを喜ぶという正しい働きをすることができるようになるのです。このようにして私たちに神様との正しい交わりが回復されるのです。
キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(ヘブル人への手紙9章14節)
私たちの霊がイエス・キリストのみわざによって修復され正しい働きをするようになったときに、はじめて私たちは知恵を正しく使うというのは人間のためではなく、神様に仕えるためなのだということを知ります。私たちは新しく修復された霊に与えられた正しい知恵によって、いかに神様の知恵が人間の浅はかな知恵では探り知ることのできない大きく深いものであるかということを知り、そのときにはじめて心から神様を恐れ敬うようになるのです。ソロモンは次のように言っています。
私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行なわれる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行なわれるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。(伝道者の書8章16節~9章1節)
このみことばのように、霊が修復されたときに私たちははじめて人間の営みや働きもすべて神様の御手の中にあることを知ります。私たち人間が遺伝子に関する驚くべき仕組みを知ったのも、神様の知恵によってであったことをはじめて知ることができるのです。
もし私たちが神様を恐れ、神様の前にへり下って、神様から与えられた知恵や技術を神様のご用のために使えば神様は祝福してくださいます。遺伝子操作の技術そのものは悪ではなく、この技術を使う人間に問題があるのです。この技術を人間が自分の欲を満たす目的で使うときに、それが悪となるからであります。これは遺伝子工学に限りません。科学技術全体、いや学問全体に言えることではないでしょうか。聖書には次のようなみことばがあります。
主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。(詩篇111篇10節)
神様を恐れることこそ知恵のはじめであり、私たち人間が神様を恐れて、みこころを問いつつ科学技術を用いれば、その技術によって身を滅ぼすことはないのです。
ですから、まだイエス様によって霊の修復をお受けになっていない方は、冒頭の神様の警告である「あなたは知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか」というみことばを謙虚に心に受け止めていただき、神様から離れていることがいかに恐ろしいことであるかを知り、へり下って神の御子イエス様の前に出ていただきたいと思います。そのときイエス様は喜んで即座にご自分のいのちによってあなたの欠けた霊を修復してくださいます。イエス様は二千年前からその作業を始めてくださっているのです。詩篇三十三篇の中からみことばをお読みします。
全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は世々に至る。幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。(詩篇33篇8~12節)
罪ある人間の知恵で立てる計画は破綻します。まことの生ける神様のご計画だけが永遠に堅く立つのです。霊の修復という人知をもって測り知ることのできないような、あわれみのみわざを神様はすでに成し遂げていてくださり、私たちひとりひとりがその対象に選ばれているのです。私たちがその事実を修復された自分の霊によって知ることができたことは、何という幸せなことでありましょうか。まだ神様のこの恵みをご存じなかった方は一日も早く神様の御前に出られ、完全な霊の修復をお受けになりますように、心からお祈り致します。