医者に治せない病気(1996年)

環境破壊は人の力では阻止できない

地はその住民によって汚された。彼らが律法を犯し、定めを変え、とこしえの契約を破ったからである。(イザヤ書24・5)


今日ほど、環境問題に人々が関心を持ったことはありません。その理由は、環境破壊が地球的な規模でどんどん進んでいることに、皆が危機感を覚えるようになったからです。そこで、これから地球環境の破壊について、まずその原因と現状、人間の知恵による対応策とその限界について考え、次に地球を含めてこの天地宇宙を創造された神は、これをどのように対処されようと考えておられるかを、聖書から見ることにしたいと思います。


地球環境破壊の原因と現状


現在、地球の環境破壊は、地球の温暖化と気候の変化、集中豪雨と洪水、熱帯雨林の消失、森林の枯死と砂漠化、オゾン・ホールの出現、野生生物種の絶滅などの形をとって、加速度的に進みつつあります。どうしてこのような環境破壊が起こり、しかも急速に進んだのでしょうか。それは、飽くなき欲を満たそうとする人間活動の結果です。人類は、より豊かさ、より便利さ、より快適さを得るために、言い換えれば、自分の飽くことを知らない欲望を満たすために、生産と消費を拡大して来ました。それが、地球資源の乱開発による環境破壊と、大量の排出物、廃棄物による空気、水、土壌などの汚染を招いたのです。これらについて、もう少し詳しく見てみましょう。


膨大な量の化石燃料の燃焼によって、人類は莫大なエネルギーを得ました。その見返りとして起こったのが地球の温暖化でした。すなわち、化石燃料の燃焼により、大気中に排出された二酸化炭素ガスは地球を覆い、地表面からの熱の放散を妨げ、その結果、地球の気温は次第に高くなっています。これによって地球に気候の変化が起こり、各地に豪雨や洪水が頻発するようになり、また植物相、動物相などの生態系が大きな影響を受け、さらに熱波やマラリヤなどの熱帯性の感染症の分布が拡大することによって、人間の健康にも大きな影響が出るようになりました。また、地球の温暖化によって、南極や北極の氷が溶解して海面の水位が上昇し、島や沿岸の低地が水没する危険も警告されています。


また、化石燃料の燃焼により大気中に排出された、大量の二酸化硫黄や窒素酸化物などのガスが、大気中の水蒸気に溶けて運ばれ、これらのガスを排出している地域から、はるか遠く離れた地域に酸性雨や酸性霧となって降り注ぎ、北米、カナダ、ヨーロッパなど地球各地の広大な森林を枯死させ、あるいは、湖沼の魚を死滅させています。


地球上には熱帯地方をはじめとして各地に広大な森林があります。人類はその森林を伐採して広大な農地や放牧地、大量の薪炭燃料や紙の原料のパルプを手に入れました。しかし、その見返りとして得たものは、生態系の荒廃、貴重な動植物の種の絶滅であり、また、二酸化炭素の吸収源である森林の減少は、地球の温暖化の原因である二酸化炭素の増加を招き、森林の乱伐による森林の保水力の減少は、洪水の発生や砂漠化の原因となりました。二酸化炭素の貴重な吸収源としての熱帯雨林は、年々本州の半分に相当する面積が消失しており、また、毎年九州と四国を合わせた面積が砂漠化しています。


熱冷媒用のガスとしてすぐれた性質をもっているために、大量に生産され使用されたフロンやハロンによって、人類は生活の快適さを手に入れました。しかし、その見返りとして、廃棄されたこれらのガスが成層圏まで上昇し、地上の生物を有害な紫外線から保護している成層圏のオゾン層にオゾンホールと呼ばれる穴を開け、その結果、太陽からの有害紫外線が大量に地上に降り注ぎ、人間の健康や動植物に被害を与えるようになりました。オゾン・ホールは、はじめは南極の上空だけに見られましたが、今や地球上空の広い範囲に観測されるようになりました。


かつて、この地球は、神が創造された時には、調和のとれた、美しい、完全な世界でした。神は、ご自分が造られた天地万物をご覧になって満足されたとあるように、それは神のみこころに適う出来栄えでした。


そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。(創世記1・31)


その美しい天地、世界を汚し、破壊したのは人間であります。神の被造物である動物、植物は、人間の悪のために苦しんでいます。聖書はこのように言っています。


いつまで、この地は喪に服し、すべての畑の青草は枯れているのでしょうか。そこに住む者たちの悪のために、家畜も鳥も取り去られています。(エレミヤ書12・4)


それは恐怖と化し、荒れ果てて、私に向かって嘆いている。全地は荒らされてしまった。だれも心に留める者がいないのだ。(エレミヤ書12・11)

地球は、その住民である人間に荒らされ汚されました。神のみこころに従わず、神のご命令を自分の都合の良いように変えて生きて来た人間に、汚され破壊されました。人間は、神の造られた美しい地球を、世界を、神のみこころに従って管理するように命じられたのに、それに背いて、自分の欲のままにむさぼり荒らして来たのです。


神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。(創世記1・26)


神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。(創世記2・15)


人間の知恵による対応とその限界


人類は、この環境破壊の大きさにやっと気づき、危機感を覚えるようになりました。一九七二年に国連の「人間環境会議」では、人間の力が地球の環境に対してはかり知れ害をもたらしつつあると指摘し、「今や地球環境の保全は、世界平和と並んで人類にとって至上の目的となった。人間の英知をもってすれば、人類の必要と希望に沿った環境で、より良い生活を達成することができる」と結論しています。しかし、はたして人間の英知によって、地球環境の破壊を阻止することができるでしょうか。たしかに理論的には可能です。その方法とは、世界中の国々が、世界中の人々が一致して、生産を大幅に縮小し、また、生活水準を大幅に引き下げること、さらに、人口の増加をゼロに押さえることです。しかもこれらの対策を直ちに徹底的に実施することです。けれども、これが実行不可能であることはだれの目にも明らかです。なぜならそれは、人類がいったん手にした豊かさ、便利さ、快適さを手放すことを意味するからです。身近に例をとれば、私たちの生活から車や冷蔵庫やクーラーやストーブを手放すことができるでしょうか。電気やガスを使わずに生活できるでしょうか。


環境破壊を防ごうという呼びかけに対して、だれ一人反対する人はいないでしょう。しかし、そのために、自分が犠牲を払わなければならないと知ると反対します。人間の生まれつきの性質が、自己中心であり、常に自分中心に考え、行動する生き方をしているからです。環境破壊は、エコロジーの問題であると言われますが、私はエゴロジーの問題だと思います。一九七二年の「人間環境会議」から二十年後の一九九二年に、リオデジャネイロで「地球サミット」が開催されました。この二十年の間に、はたして人間の英知によって地球の環境は改善されたでしょうか。現実はその逆です。「地球サミット」でも環境改善のための多くの具体策が提案され、それらは宣言に盛り込まれました。しかし、たとえば開催国のブラジルは、地球に生きる人類にとって欠くべからざる酸素の大きな供給源である、熱帯雨林の宝庫アマゾンの開発を規制しようというサミットの提案を、それは国内問題であるという理由で拒否しました。また、アメリカは、地球温暖化の主因である二酸化炭素を減少するために設定した、各国が遵守すべき排出濃度基準を、経済発展を阻害するという理由で受け入れに反対しました。このように、国のレベルでも、各国それぞれの自己中心的態度のために、総論は賛成だが各論は反対、つまり、地球環境の破壊は防止されるべきだが、そのために自国の犠牲は払いたくないという結果になり、地球環境は改善されるどころか、ますます破壊が進むことになるのです。


創造主なる神のお考え


では、創造主なる神は、このような状態の地球についてどのように考えておられるのでしょうか。神はご自分が創造されたこの地球が、人間の自己中心の欲、すなわち聖書でいう罪のために汚され、破壊されて行くのを黙認しておられるのでしょうか。神は決してそのまま見過ごすことはなさいません。なぜなら、神は完全な方、聖い方ですから、その神が造られた天地、地球も完全で聖くあらねばならないからです。神は汚れたものはすべて取り除くと言われました。


わたしは必ず地の面から、すべてのものを取り除く。主の御告げ。わたしは人と獣を取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。わたしは、悪者どもをつまずかせ、人を地の面から断ち滅ぼす。(ゼパニヤ書1・2~3)


そして神は、人間によって汚され、破壊された古い世界に変えて、新しい、聖い、完全な世界を造ると宣言されました。


見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。(イザヤ書65・17)


古い、汚れた天地が終り、新しい、聖い天地が始まるのはいつでしょうか。それは神だけがご存じですが、古い、汚れたこの世界が終局を迎える前には前兆があるから、それを見落とさないようにとイエス・キリストは言われました。


イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたのれる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たわけではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(マタイの福音書24・3~8)


これらの現象は、まさに今日、私たちの目の前に起こっています。したがって、世の終りがいつ来ても不思議はありません。しかし、私たちはその日がいつであるかを気にするよりも、私たち自身が、古い、汚れた世界とともに滅びるか、それとも新しい、聖い世界に入れるかを心配すべきではないでしょうか。では、神が造られる新しい天地に入れる人はどんな人でしょうか。入れない人はどんな人でしょうか。聖い天地に入れる人は、神に義と認められ神によって聖くされた者だけです。神を無視し自分を義としている者は、神から罪に汚れた者と見なされて、聖い天地には入れないのです。では、罪に汚れた者はどうしたら聖くなれるのでしょうか。そのために何をしたらよいのでしょうか。自分の努力では聖くなれません。聖くなるためには、生まれ変わらなくてはならないのです。イエス・キリストは、ニコデモというユダヤ人の指導者の質問に、次のように答えられました。


イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません」。(ヨハネの福音書3・3~5)


「生まれ変わる方法はただ一つ、水と御霊によってだけです」と、イエス・キリストは言われました。「水」とは、自分の欲を満たすことが罪であること、自分を義とすることが罪であることを認めて悔い改めることを意味します。また、「御霊」とは、その罪から自分を救い出してくださる方がイエス・キリストであると信じる者に、神から与えられる、私たちの霊を生まれ変えさせてくださる助け主であります。


人間の英知と努力は、地球環境破壊の破局の時を、多少は先に延ばすことはできるかもしれません。しかし、人間が自分の力で地球を救おうとするのは、癌の末期の患者に延命措置を行って、いのちを数日か数週間先に延ばすのと似ています。むしろ、私たちのすべきことは、自分の罪が、神の造られた美しい地球を汚し、破壊したことを認めて、神の前にへりくだって謝罪することではないでしょうか。神はその人を、イエス・キリストのいのちの代価によって赦してくださり、義と認めてくださいます。神はそのために御子イエス・キリストをこの汚れた世に送ってくださり、神の創造される新しい天と地に入ることのできる道を備えてくださったのです。


イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14・6)


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3・16)




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