医者に治せない病気(1996年)

肉の目の色盲と霊の目の色盲

パリサイ人やサドカイ人たちがみそばに寄って来て、イエスをためそうとして、天からのしるしを見せてくださいと頼んだ。しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる。』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。」と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。」(マタイの福音書16・1~3)


色盲とは


どなたも色盲の検査は受けたことがあると思いますが、色盲の検査には色盲表を使います。色盲表には、さまざまな色の、たくさんの小さい円が不規則にちりばめられています。ちょっと見ただけでは何の意味もない模様のようですが、この中には濃淡さまざまな緑色の小さい円のつながりからなる文字が隠されています。正常の目は、この緑色の小円を他の色の小円と識別して、隠されている文字を読み取ることができますが、色盲の目は、緑色と赤色の見分けができないので、隠されている文字がわかりません。


霊の目の色盲


これと同様なことが霊の目についても言えます。私たち人間は皆同じ自然を、同じ世界を見ています。しかし、この同じ対象も、知識や経験にもとづく目で見る場合と、神に背を向けて自分のことだけ考えていた時には閉じていた霊の目が、イエス・キリストの愛と恵みによって開かれたことによって見る場合とでは、見えるものが違うのです。知識や経験にもとづく目からは、その対象から知識や経験の蓄積である科学的説明を読み取るだけですが、イエス・キリストによって開かれた霊の目からは、同じ対象から霊的説明を読み取るのです。科学でわかることは、物事の機序、メカニズムですが、霊でわかることは、物事の意味です。したがって、霊的色盲であれば、物事の意味を知ることはできませんし、聖書に書かれていることの意味もわかりません。


時のしるしを見分ける目


イエス・キリストは、パリサイ人たちに対して、「あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのですか」と言われました。人間は、知識と経験によって、つまり、科学的な目で天気が変わるメカニズムを知っているので、ある程度天気の予知が可能です。しかし、霊の目が開かれていなければ、そこから世の終りの時が迫っているしるしを見分けることはできません。


自然界に起こった現象を科学の目と霊の目で見る


聖書には多くの自然現象についての出来事が記されています。その中でよく知られている一つの例をあげます。


主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。(出エジプト記14・15~16)


そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。(出エジプト記14・21~22)


この現象は、科学的には非常に強い風が吹いた結果、海水が押し分けられたというように解釈できますが、しかし、霊的には、その現象の中に、全能の神が選ばれたイスラエルの民をエジプトから救い出し、約束の地であるカナンに行かせようとされる、神の意志を見ることができます。


歴史は神のHISTORY


人類の歴史についても、科学の目で見るのと霊の目で見るのとでは、大きな違いがあります。科学的立場からの歴史の解釈では、ある民族や国家が興り(おこ)、栄え、そして滅びるという歴史現象を、科学的、すなわち政治、経済、思想などの面から分析し、説明します。歴史家の分析はすべてそのような立場からなされ、人間の歴史は人間が造るものであると説明されます。しかし、霊の目には、人間の歴史は神が造るものであり、神がご自身のご計画によって導かれるものであることが示されます。英語で歴史のことを、Historyと言うことはご存じの通りですが、この単語は、HisとStoryという二つの単語の合成語なのです。Hisとは、「神の」という意味であります。ですから、History、歴史とは「神の物語」「神の語られたもの」ということになります。


このことについて、イスラエル国家の歴史を例にとって考えてみたいと思います。イスラエルの国は、西暦七十年と一三五年に、当時イスラエルを支配していたローマ帝国からの独立を企てて反乱を起こして敗れ、その結果、イスラエル国家は完全に滅亡し、その後イスラエル民族は世界中に離散してしまいました。しかし、それから約二千年後の一九四八年に、パレスチナの地にイスラエル国家は再建されました。しかも、このイスラエ家の再建は自力でなされたものではなく、イギリス、アメリカを中心とした西欧諸国の協議の結果生まれたものであります。一つの国が滅んで二千年という永い年月の後に、同じ民族が同じ地域に国を再建するというような例は、他に一つもありません。しかし、これを神の意志によるHistoryとして霊の目で見る時に、このことは不思議でも偶然でもないことがわかるのです。すなわち、神は、ご自分に背いた選びの民、イスラエルをさばいて国を滅ぼし、イスラエル人を世界中に散らされたのですが、ご自身のあわれみによって、ふたたびイスラエル人を集められたのです。そして驚くべきことに、このことは、はるか昔、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民が、定住の地カナン、現在のパレスチナに入る直前に聖書に預言されていたのであります。


私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(申命記30・1~3)


彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。(エゼキエル書37・21)


しかし、イスラエルの歴史だけが世界の歴史から切り離されて一人歩きすることはあり得ないことです。世界の歴史の中にイスラエルの歴史もあるからです。そして、私たちはイスラエルの国が、聖書の預言通りに再建された事実を通して、人類の歴史は、今も生ける神のご計画に沿って進められており、さらに、聖書に預言されていることは、将来の世界の歴史の上にも必ず起こることをも確信できます。その聖書の預言とは、イスラエルが再建された時は、世界の終末が近いということです。神は、エゼキエルという預言者に次のように言え、と命じられました。


それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。あなたは北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしが聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。神である主はこう仰せわたしを知るためだ。神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、――神である主の御告げ。――わたしは怒りを燃え上がらせる。わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。――神である主の御告げ。――彼らは剣で同士打ちをするようになる。わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。(エゼキエル書38・14〜22)


ゴグという名の国が、今の世界のどの国を指しているのかを指摘することはできません。しかし、イスラエルからみて北にある強大な国であることはあきらかです。神は、世界の終末の時に、神に敵対する力としてのゴグとその同盟軍に働かれて、安逸を貪っているイスラエルに侵攻するようにされます。イスラエルは侵略されて非常に苦しみ、また、その時に大地震などの災害も起こりますが、最終的には、神がゴグに敵対する軍隊を起こされて、ゴグとその同盟軍は、神に滅ぼされます。


世界の終末の前兆


イエス・キリストは、この世界の終末が近い時には、どのような前兆が起こるかについて、次のように言っておられます。


イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ。』とか、『時は近づいた。』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。」(ルカの福音書21・8~11)


それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(ルカの福音書21・29~33)


以上のように、健全な霊の目で見ると、世界の歴史、民族の歴史の背後には、神のお考えがあること、そして、世界の歴史は、そのお考えの通りに動いていることがわかります。したがって、私たちは、これからの世界の歴史に対する神のみこころが、どのように実施されるのかを知るうえで、現在のイスラエルの国を中心とした世界の動向には、特別の関心と注意をはらう必要があります。


ひとりひとりの人生についての神の配慮


しかし、このことは、世界の歴史に限ったことではなく、人間ひとりひとりの歴史、すなわち人生にも当てはまることなのです。私たちは人生を自分の知恵や経験によって、目に見えるものだけを頼りに歩いているように思っています。自分の人生は自分が計画を立て、それを造り上げるように思っています。けれども、実はその背後に神のお考え、神の配慮があることが、霊的な色盲のためにわからないのです。


イエス・キリストは、人生の計画を自分の考えによって立てている人について、次のようなたとえを話されました。


それから、人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。「こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』(ルカの福音書12・16~20)


霊的色盲の人の人生はこのようなものであります。人間の知識や経験によって立てる自分の人生についての予測は、天気予報よりも当てにならないものです。


私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(コリント人への手紙第二4・18)


霊の目の色盲は治る


ここに述べられている、見えないものとは、言うまでもなく霊的色盲の目からは隠されている、私たちに対する神ご自身であり、またその神のお考えであります。神のお考えは、私たちに、肉の目で見ることのできる一時的なこの世の幸せではなく、神のひとり子イエス・キリストの尊いいのちと引き替えに与えられる、天国まで続く永遠の幸せを与えようというものであります。しかし、この神のお考えを知るためには、まず、私たちの霊の目の色盲を治さなければなりません。医者は肉の目の色盲は治すことができません。霊の日の色盲も人間の力では治すことはできません。ただ、神が与えてくださる御霊だけが、次の聖書のことばのように、霊的色盲を治してくださることができるのです。


まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(コリント人への手紙第一2・9~11、14)


その御霊は、イエス・キリストを信じる者に、助け主として与えられるものであります。


助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14・26)


その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。(ヨハネの福音書16・13)


私たちは自分の知恵や知識に頼って生きています。しかし、私たちの知恵や知識では聖書に中に隠されている深い神のみこころ、すなわち、神が私たちひとりひとりを愛し、滅びに至る罪から救い出して永遠のいのちを与えようと、御子イエス・キリストを人としてこの世に遣わし、私たちの罪の身代わりに十字架にかけられたことを知ることはできません。霊の目が色盲であるからです。イエス・キリストはこう言われました。


わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。また、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。(ヨハネの福音書5・37~40)


ヨハネはイエス・キリストについて次のように証言しました。


神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。御子を信じる者は、永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。(ヨハネの福音書3・34〜36)


霊の目が色盲であるかないかは、いのちか滅びかという、人にとって最も重大な問題です。どうかイエス・キリストのもとに行って、霊の色盲を癒していただき、永遠のいのちを得られるよう心からお祈りします。




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