私達の国籍は天にあります(1987年)
〔軽井沢保育園保護者連合会講演会にて〕
今日皆様にお目にかかれてお話が出来ることを感謝しております。遠い所からおいでになった方もいらっしゃるようですが、私も昨夜東京からまいりました。せっかく皆様がお忙しいところをおいでくださって私の話を聞いてくださるのですから、何かおみやげになることをと思って考えてまいりました。御承知のように私は医者でございますけれども、今日お話いたしますなかで、ぜひとも聞いていただきたいと思うことがあります。これは恐らく他のどんな医者も話したことがない病気、恐らく初めてお聞きになる病気だと思います。その病気について、またその治療はどうしたらよいか、ということも是非知っていただきたいと思います。
日本は大変豊かになってまいりました。何でも欲しいものが手に入るようになりました。食べ物でも衣服でも手に入る。では、あと残っているもので何が欲しいか、と考えました時に、最後に残るものは健康です。健康を自分のものにしたい、それと似たようなことですが、長生きをしたい、長寿を手に入れたい、と思うようになってまいります。アンケートなどで調査しましても、そういう答えが一番多いのです。日本人の寿命は世界一で、最近の統計では男が平均七十五歳、女性が八十歳です。今まで日本が目標にしていた長寿国というのは北欧諸国、スウェーデンやデンマークですが、今やこれらの国々を追い越して世界のトップであります。
男七十五歳、女八十歳というのは、生れたばかりの赤ちゃんがこれから平均してどのぐらい生きられるかということを予測して出したものですから、例えば私は六十歳になろうとしておりますが、この私が七十五歳まで生きるということとはちょっと違うのですけれども、いずれにしても、平均余命、平均寿命が大体その国の健康度を測る大きな物差しになります。その点で日本は既に健康も世界一である、と言ってもいいのですね。
どうしてそうなったかと申しますと、かつてあったいろいろな伝染病で死ぬ人がほとんどいない、今死ぬのはほとんど成人病といわれる病気によるのです。また生れる人も昔に比べて少ない、少なく生んだ赤ちゃんの死亡率が減った、少産少死というパターンに日本がなってまいりました。
それにともなって起っている問題が人口の老齢化であります。お年寄りの割合いがどんどん増えております。老人についてはいろいろな定義がありますけれども、私どもは六十五歳以上を老年といっております。ちなみに、統計で見ますと、この老人の人口に占める割合いが今一〇%です。ところが、西暦二千年、昭和七十五年になりますと、老人の割合いは一六%になります。さらに、二十年後には何と二二%が六十五歳以上の人で占められるということになるのです。このように大変老齢化が進んでいます。
かつて私たちがアメリカやヨーロッパに行きますと、何と老人が多いのかと目につきました。しかし、今私たちが日本の街を歩いておりますと、老人の方々の姿が非常に多い、昼間街を歩いている方、電車やバスに乗っておられる方にご老人が大変多いですね。このままの少死が続きますと、ますます老齢化の傾向が顕著になってまいります。
ところがいっぽう、私も毎日医学部に通勤しておりますけれども、大学病院の待合室を見ますと患者さんが一杯です。これはどこの病院でも同じで、患者さんがあふれています。長寿国でありながらなぜそんなに病人が多いのかと申しますと、一つは、今は誰でも病気になればすぐに医療が受けられるという体制が出来ているからです。昔はなかなかかかれなかったお医者さんにすぐにかかれる、またそのように患者さんの意識も高まって来ている、少し悪くなったら医者に診てもらうということが徹底してきた、というのも事実です。
ですから、長生きにはなってきたけれど、健康な人が増えているかというとそうではない、自分はどこか悪いのではないかという思いを持っている人がずいぶんいます。健康と病気の境目はなかなかつけにくいのですが、言わば半健康、あるいは半病人という人々が多くなって来ております。私たち医者も一生懸命に診察、治療しているのですけれど、なかなか病気が減らないのです。
では病気の中身は昔と今とはいったいどう変わっているのかと言いますと、これが様変わりしております。昔怖かった病気、どんどんその病気で死んだというような病気は少なくなっている。例えば、伝染病でいいますと、天然痘、これで死ぬ人が昔は大変多かった。しかし今では天然痘の病人は世界中で一人もいなくなりました。昭和五十五年に、WHO、世界保健機構から、世界中の国々から天然痘が消滅した、撲滅されたという宣言が出されました。皆様方一人一人種痘の跡がありますが、もう種痘する必要が無くなりました。天然痘が無くなったからです。ところが天然痘のウイルスは存在する。どこにかと申しますと、いろいろな研究所の試験管のなかに生きております。それだけなのです。病気としてはもうないのです。
かつて日本では結核が蔓延(まんえん)して、多くの若い人が死にました。また私たち位の年令では、死なないまでも、若い頃結核にかかって長い間療養した人はたくさんいらっしゃいます。しかし今、結核で死ぬ人は極めて少ないのです。らいも怖い病気でしたけれど、今では非常に少なくなりましたし、らいで死ぬ人はなくなりました。かかってもごく軽症で、しかも治ります。そのように、昔、怖い怖いと言われていた病気は今や姿を消しつつあります。
ところが、このように医学が進歩し抗生剤のような薬が出来たから、伝染病はなくなったかと言うとそうではありません。新しい伝染病が出て来ました。一番新しくて恐ろしい伝染病はエイズであります。これは前はなかったのです。私たちは習ったこともありません。ごくごく最近、十数年前にアフリカのある地方で風土病として発生しました。それからアメリカやヨーロッパに蔓延(まんえん)して、今や日本にも入って来ました。エイズというのは日本語では後天性免疫不全症候群(こうてんせいめんえきふぜんしょうこうぐん)というちょっと難しい名前で呼ばれております。一言で言えばこれはウイルスで起こる病気です。このウイルスは、人間の血液の中のりんぱ球に取り付いてこれを破壊してしまう。りんぱ球というのは、外から侵入してくるウイルスやかびや細菌などを殺す大切な役目を果たしているものですから、それが全部やっつけられると、人間は無抵抗になってしまいます。恐ろしい病気を持った微生物からまったく裸になってしまうのです。
軽井沢の空気は日本でも有名なほどきれいですが、それでもここに培地(ばいち)を置いて、十五分間蓋(ふた)を開けておいてから閉じて、孵卵器(ふらんき)に入れて培養しますとそこにいろいろな細菌がわーっと生えてきます。こんなきれいな空気でもそうなのです。私たちはそういう空気を吸っているのですが何ともないのです。というのは皆さんの体の中に生れつき、赤ちゃんでも誰でもそういった神様が与えてくださった防衛機構がありますから、病気にならないわけです。けれどもその機能をやっつけるウイルスが現れましたから大変です。今のところ我々はそれに対して闘う武器を持っていません。感染して発病しますと一〇〇%死にます。エイズのウイルスで死ぬのではありません。かかった人たちは無抵抗の状態になっていますから、吸い込んだ微生物が全部その人の体の中で繁殖してそのために死ぬのです。エイズで死ぬ一番の原因はかびによる病気です。かびで肺炎が起こります。普通、かびで肺炎になるということはほとんどありません。ところがエイズにかかると肺にかびが繁殖それによって呼吸困難が起きて、苦しみながら死ぬわけです。
エイズはしかし、今のところ特殊な感染経路をとっております。セックスによって、また特に同性愛によって感染します。ニューヨークのマンハッタンには同性愛の人がたくさんいるそうです。そのためにマンハッタンにおける死亡率の第一位はエイズになりました。癌などではないのです。
また、日本で今増えている病気の一つにB型肝炎、血清肝炎というのがあります。このB型肝炎のウイルスを持っている人は日本で二百万から三百万人と言われており、もっと増えて来るでしょう。このウイルスも非常にしつこいのです。普通のウイルスは熱を加えると死にますが、このウイルスは死なない。血液を通して感染しますから、輸血が大変怖い。ですから輸血は、血液の中にこのウイルスが入っていないかどうか、よく調べてから行いませんと、病気は輸血によって治っても、輸血をしたためにB型肝炎にかかる可能性があります。この病気は何が怖いかと言いますと、だらだらと長引いてついに肝硬変を起こす、あるいは更に肝臓癌が発生する場合もあるからです。
まだたくさんあります。心身症という病気、これは昔もありましたけれど、今は非常に増えています。心身症とは、一口に言いますと心で起こる体の病で、ストレスなど心理的原因で体にいろいろな症状が出てくる病気です。人間社会がたいへん複雑になり、仕事の上や人間関係の上で負担が多くかかって来て、その荷が重すぎると、それが引金になって起ります。普通、皆様方が体の病気だと思っているものの中に心身症である場合がたくさんあります。高血圧もそうですし、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、糖尿病、心筋梗塞(こうそく)その他いろいろな病気がストレスが原因で起ります。ですからこれらの症状が出た時に、ただその病気の治療をするだけではなくて、原因である心の問題を解決しなければなりません。お子さんでも心身症にかかる方がたくさんあります。
また、うつ病、抑うつ症、これは昔あまりなかった病気ですが最近はずっと増えています。これも世の中が急速に変化して、いろいろな意味での心の重荷が重くのしかかり、それが引金になって起こっている場合が多いと言ってもいいと思います。まだいろいろありますが、一つの病気が少なくなるとまた新しい病気が出て来る、社会環境や心理的な環境、人間関係のあり方が変わって来ると、どんどんと新しい病気が出て来ます。
このように医学と病気は追いかけごっこをしているわけです。私たちはいつもベストを尽くして研究をし、診療をしておりますけれども、医学の限界をいつも感じます。結局私たち医者がしていることは、ちょうど消防士が火事が出た時に火を消しますが、それと同じことをしているわけです。火事が起こると、それ行け、といって火事場に行って火を消します。するとまた別の所に火の手が上がってまた駆けつけて消す、それが大体医学、医療のやっていることであります。何が起こるかわかりません。そうやって、私たちはあちこち火を消してまわっておりますけれど、人間として誰しも持つ夢である不老不死、いつまでも若くいつまでも死なない、これが医学で達成出来るかと言いますと、それは出来ないのです。その研究はしておりますけども、はっきり申しあげてそれは出来ません。
臓器移植というのがあります。悪くなったら取りかえて健康な臓器を移植する方法です。現在は腎臓でこれが出来るようになり、心臓や肝臓でも出来ることがわかってきました。では悪くなればそうやってどんどんと取り変えて行けばいいじゃないか、と思われるかも知れませんが、そうしてもたかだか数年あるいは十数年死が先に延びるだけです。というのは、いろいろな研究でわかってきましたが、人間の寿命の限界は、どんなに医学が進歩し、医者が努力しても百二十年なのです。これ以上はだめなのです。人間の体を構成している細胞のいのちは、最も良い条件に置いておいた場合でも百二十年以上は生きられない。細胞の中に仕組まれている機構、これを変えることは出来ないのです。ですから、細胞から成り立っている人間がどんなに努力してもそれ以上は生きられない。これは聖書の中で、人間の寿命を百二十歳と神様がきめられたと書いてあるのに一致しています。ずっと昔に書かれたことが、今最先端の医学でわかってきたのです。不思議なことだと思います。
このように、私たち人間は生れたら必ず死ぬことがわかっています。今日いらっしゃった皆様方はまだ若いお母様が多いですし、お子さん方はもっと小さいですから、まだ死ということについてあまりお考えになっていないかも知れません。しかし、私たちは生れたその日からどこに向かって歩いて行くかと言いますと一人一人必ず死というゴールに向かっているのです。後戻りは出来ない。いやだからもう一度お母さんのお腹の中に戻ろうと言ってもそれは出来ません。皆用意ドンでスタートしているのですから。ゴールは死です。それははっきりしているのです。ですから、結局、医学というのは延命の学問、命を先に延ばすということしか出来ないのであって、死に対してはまったく無力なのです。どんな病院でも、もうこの患者さんは駄目だ、ベストを尽くしたけれどもこの患者さんは死ぬのだということがわかった時、医療従事者は死に対して何の対策も持っていないのです。ただ、最近ごくごく短い間の延命の道具がありまして、生命維持装置と言いますが、もうだめとわかった患者さんにそれを付けますと、無理やりにその装置で心臓を動かし、無理やりに肺の中に空気を押しこみますから、もう脳は完全に機能を停止した後も、装置を付けているために顔色が良くて何となく生きているように見える。大変にお金のかかる装置ですが、これを付けるともう医者はなかなかこれを止められません。愛する人がまだ生きているように目の前に横たわっている。ご家族は医者に、「どうでしょうか」とお聞きになります。医者は、「装置で心臓は動いていますけれど、止めれば・・・・」となるわけです。昔は医者はご臨終です、と言いましたが、今はその装置が動いている間医者はご臨終ですとは言えません。けれども、その患者さんの脳は既にどろどろに溶けてしまっていたという例が解剖してみると少なくありません。
そこで、こんなことではいけない、と医療従事者たちが考えたことが一つあります。末期医療と言いまして、もうその患者さんにどんな医療の手を尽くしてもだめだ、必ず死ぬ。けれども放って置くことは出来ない、なんとかしてその人が安らかに死ねるように援助をしようという考え方であります。これは最初はイギリスでスタートしたのですが、ホスピスというのがその施設です。
死んで行く人がどんなことを考え、どんな苦しみ悩みを持っているかを、看護をする上での参考のために調べ、分析しましたところ、そういう人々に四つの苦しみがあることがわかりました。ひとつは身体的な苦痛、もうひとつは精神的な苦痛、それから経済的なあるいは社会的な苦痛というものもある、そして最後に霊的な苦痛があるということがわかって来ました。
身体的な苦痛はまだ医学が助けることが出来る、例えば癌の患者さんの場合など痛みが非常に激しく耐えられなくなります。それに対しては鎮痛の手段が講じられます。この分野は大変進歩して来ており、薬で痛みを和らげることが出来ます。それから、精神的な苦痛あるいは社会的、経済的な苦痛、これはご家族や看護する方たちが暖かく接すること、出来るだけ本人の希望をかなえてあげるような配慮をすることなどである程度和らぎます。
問題は霊的苦痛です。これは何かと言いますと、私たちは死ぬとわかった時に、死んだらいったいどうなるのか、どこに行くのか、ということがとても心配になります。元気なうちはあまり考えないかも知れませんが、「どうもだめだ、自分は助かりそうにない」と思うようになりますと、口には出さなくてもほんとうに思い悩むようになります。大変怖くなるのです。ある人はその時神様のことが頭に浮かぶでしょう。「ああ自分は生きている間に悪いことをしてしまった」、「私はまわりの人々の心をあんなに傷付けてしまった」「あの人をとても憎んだ」、「他人には知られなかったけれどもこんな許されないようなことをしてしまった」、「うわべはきれいに見せかけていたけれど、ほんとうの自分はとても醜い思いを持って生きてきた」などといろいろな思いが心に浮かぶでしょう。そして「こんな自分はいったい死んだらどうなるのだろうか、地獄に行くのではないだろうか、とても恐ろしいことが待っているのではないだろうか」と死が怖くてどうしたらいいかわからなくなってしまいます。
しかし、これに対して医者や看護婦が、「そんなことを心配する必要はありません、絶対に大丈夫です」と言えるでしょうか。言えません。何の保証もないのですから。そこで医者は逃げます。「大丈夫です、あなたはまだまだ死にません。きっと治りますよ」などと言うわけです。けれどもそれは嘘ですね。患者さんはわかるのです、自分がもうだめだと言うことが。そんな大事な時に医者や看護婦に逃げられた患者さんは、もんもんとして苦しみながらこれに対する何らの解決も与えられないままに死んで行きます。
ホスピスが日本でなかなか普及しないのは、その問題に解決を与える人が誰もいないからです。この苦痛や恐怖は医学では治せない病気に人間がかかっていることから来ているのです。いったいそのような苦しみや恐れはどんな病気から起こって来るのかということについてこれから少しお話ししたいと思います。これは「罪」という病気なのです。この病気に人間がかかっていますから、死に対する恐怖が出て来るのです。実は、この病気は人間が一人残らず持っています。
これから先を続ける前にお話ししておかなければならないことがあります。我々人間は肉体を持っております。その中に精神、あるいは心というものがあります。けれどもこの二つは人間だけでなくて動物も持っております。しかし、人間だけが肉体の中にある心の更に中に持っているものがあります。これが霊なのです。動物でも、痛いとか嬉しいとか、あるいはこの主人について行こうとか、これはしてもいいか、いけないかということはわかります。それは動物も心、精神を持っているからです。判断力と感情と意志は心の働きです。ですから、これら三つのものは人間だけではなくて犬にもあります。
ところが、良心というのは霊の働きです。良心のとがめ、良心のうずきというものを皆様も感じられたことがあると思いますが、不思議なことに、これを持っているのは人間だけなのです。ここでなぜ人間が罪という霊の病気、これは遺伝病でありますが、これを持っているかということについてお話しいたします。皆様はご存じかどうかわかりませんが、人間は創造主である神様によって造られたものです。もちろん、我々人間を造ってくださった全知全能の神様は宇宙とその中にある万物をお造りになりましたが、人間を特別に愛してご自分に似る者としてお造りになったのです。
人間のいのちは尊いとよく申しますね。なぜ尊いのでしょうか。先日ある高名な分子生物学者にお会いしました時にその方が「人間のいのちは尊い」と言われました。ところが、その方は、「人間のいのちが物質から出来ていることを研究の結果証明出来た」と言われるのです。それで私は、「なぜ物質で出来ている人間のいのちが尊いのですか、ダイヤモンドと同じ意味で尊いのですか」とお聞きしますと、「そうじゃないなあ、なぜ尊いのかはわからない、なぜかわからないけれど人間のいのちは全宇宙よりも尊い」と言われるのです。そんなおかしなことはありませんね。世界一流の分子生物学者です。その方がなぜかわからないと言われるのです。ただ漠然とそう感じておられるだけなのです。これはお気の毒ですが、この方が神様をご存じないからであります。
なぜ人間のいのちが尊いかと申しますと、それは神様がご自分に似る者として造ってくださった、そのことは聖書に書いてありますが、それだから尊いのであります。ご自分に一番近いものとして造ってくださったからなのです。神様は人間がご自分に応答出来るように、私たちに霊を与えてくださったのです。良心は霊に属するものであります。ほんらい人間というものは神様を認識し神様に応答出来るものとして造られたのに、我々はそうしていないですね。神様をどこかへやってしまって自分を神様にして生きている、自分の思いを中心にして生きています。自分が正しいと思っています。他人に対して、あの人が憎いとか、あの人がうらやましい、などと人を憎んだり妬んだりするのは、自分と比較して自分を中心にして考えるからです。人間は一人残らず皆そうです。私もそうです。
ここで言う罪は法律上の罪とは違います。法律上の罪はCRIMEと申しますね。しかし、神様に背いた罪はSINであります。最初の人間アダムとエバが神様に背いて以来その子孫であるすべての人間の中に罪という病気が入ってしまったのです。遺伝病と申しましたのはこのことです。この病気の症状は、自分中心ということであります。
普通、皆様方のお考えになる罪は法律上の罪、人殺しとか盗みとかそういうのが罪だとお思いでしょう。ですから罪と言われると、「とんでもない、私は罪など犯したことはない」とおっしゃるでしょう。けれどもそのような罪も結局は先ほど申しましたような、憎しみ、妬みなどという自己中心な思いから出ているに過ぎません。ですから、CRIMEの水源はSINです。神様を無視して人間が自分中心に生きるのがSINという罪なのですから、誰一人として私は絶対に自分中心に生きたことはないと言えない以上、皆が罪を持っていることになるわけです。
「そんな、憎しみや妬みなどというものは皆持っているから大したことはないじゃないですか」とおっしゃるかも知れませんが、神様にとっては正しいものは正しい、正しくないものは正しくないのです。神様は完全な方ですから、少しでも罪があればそれを見過ごすことはお出来になりません。ですからSINという罪、病気といってもよろしいのですが、これにかかったら死ななければなりません。その死というのは単なる肉体の死ではないのです。SINという病気の結果は永遠の滅び、永遠の苦しみであると聖書に書いてあります。これが怖いのです。皆さん死ぬ時に大変恐れを感じるのは、自分の中の良心がそれをささやくからであります。
健康というのは病気でない状態を言いますが、ほんとうの健康とは今私がお話ししたことでおわかりと思いますが、神様と私たちが正しい関係を回復した状態、これがほんとうの健康であります。ただ体や心が病気でないという状態を指すのではなくて、罪という病気が私たちの中から取り去られた時、私たちはほんとうに健康になります。そしてこれは医者には出来ないことなのです。医学では手が出ないのです。
ではいったい、どんな方法でこの罪という病気を取り除くことが出来るのでしょうか。皆様も知っておられると思いますが、加持祈祷(かじきとう)というのがありますね、神仏を拝む。ところがそんなことではだめなのです。人間が作り出した神や仏をいくら拝んでも無駄です。宗教ではだめです。なぜなら宗教はみな人間が考え出したものだからであります。あるいは良心の痛みを感じますと一生懸命にいろいろな善行に励む、そして「自分で良いことをしたから赦されるだろう」と思うでしょう。でもだめなのです。SINという罪はそんなことではなくなりません。なぜかというと、自分の心の中に良いことをしたという思いがおこる、これは自分を誇る高慢の罪です。やはり自分中心です。「それじゃ、どうしようもないじゃありませんか。いったいどうしたらいいのですか。滝にでも打たれましょうか」とおっしゃるかも知れません。でもそんなことをしてもだめなのです。
解決の方法がたった一つあります。私たちを造ってくださった神様だけがこの罪という病気を治療してくださる唯一の方なのです。人間が考え出した八百万(やおよろず)の神々ではありません。まことの神様は全知全能の創造主唯お一人です。この神様は私たちの目には見えませんね。けれどもこの美しい軽井沢の自然は人間が造れるものではありません。私たちが素直な心になって自然を見た時に、神様がお造りになったことがわかります。小さな名も知れないような花が誰も見る人もいないようなところで咲いているのを見る時にも、ああこれは神様がお造りになったのだ、と素直に思うことが出来ます。どんな小さな花や草一つでさえも人間が造り出すことは出来ないのです。
私たちの体も大変複雑に出来ておりまして、調べれば調べるほど驚異です。そういう私たち人間は、単なる一学説にしか過ぎない進化論で説明出来るようなものではありません。人間は猿から進歩したなどというものではありません。神様の造形の極致なのです。宇宙を見てもそうです。宇宙飛行士が宇宙へ飛び出して行って地球を見た時に、驚嘆しました。誰がいったいこんな素晴らしいものを造ったのかと。宇宙と言いましても、私たちの見ている宇宙は全宇宙のほんの一部にしか過ぎません。私たちは宇宙の果てまで行ったことがありません。いくらロケットを飛ばしてもそれは有限なところまでしか行かれません。私たちの住んでいる地球は太陽系のひとつの惑星にしか過ぎません。たくさんの太陽系が銀河系を構成していてその銀河系がかぞえきれないほどあります。それらのものが全く秩序正しく動いている。そのようなものをいったい誰が造り、また動かすことが出来るでしょうか。神様にしか出来ません。そのような神様が小さな虫から私たちまで造ってくださったのです。神様は永遠に存在される方で、「私はアルファでありオメガである」とおっしゃっています。始めであり終わりである全能者、造り主である神様以外に私たちのどうしても取り除けない罪を取り去ってくださる方はないのであります。
ではどうやって取り除いてくださるのでしょうか。実はもう既に取り除いてくださったのです。それも大変驚くべき方法によってなのです。それは私たちの死に至る恐ろしい罪をご自分の身に負って身代わりになって死んでださるという方法によって取り除いてくださったのです。それがイエス・キリストの十字架なのです。「何だ、二千年も前のユダヤの出来事じゃないか」とおっしゃるかもしれません。けれども全宇宙をお造りになった神様にとって日本も外国もありません。人間はどこの国でも変わりないのです。
イエス様は約二千年前に歴史上目に見える姿でこの世に来てくださった神様なのです。宇宙をお造りになる前から存在された子なる神であり、すべての物を父なる神の御心に従ってご自分でお造りになったのです。もちろん、私たち人間もです。このことは聖書にはっきりと書いてあります。その神様が背いた私たちの罪をご自分の身に負って始末してくださるために、十字架にかかって身代わりの死を遂げ、三日目によみがえって、信じる者に罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださっているのです。
聖書でイエス様はいろいろな教えを説いていらっしゃいますが、イエス様がこの世においでになった最も大きな理由は、私たちの罪を十字架の上で始末してくださるためだったのです。このことを信じないで、ただイエス様の教えだけに目をとめても罪は赦されません。よく教会に行っても、十字架のことがわからない、ほんとうに罪が赦されているということを受け入れることが出来ないとおっしゃる方があります。けれども、聖書を神様からの言葉として自分でよくお読みになれば、この十字架の救いがどんなに素晴らしいことであるかおわかりになるはずです。ご自分の中にある罪の性質を認めて、イエス様の十字架による罪の赦しを感謝して受け入れるならば、その時からあなたは罪という永遠の滅びに至る病から解き放たれ、この世のいのちが終ってからは天国で永遠に生きる者となることが出来るのです。これが、聖書による神様の約束であります。人間の約束ならば破られることもあるかも知れません。けれども神様の約束は絶対に破られることはないのです。
このようにして、霊的健康が与えられますと、たとえ癌になって余命いくばくもない状態になっても、まだイエス様の救いを受け入れない霊的な病気の人に比べて、非常に平安があります。私の知人や友人のキリスト者で、はっきり末期癌であると知らされても、考えられないような安らかな心で恐怖も不安もなくこの世の生活を送り、痛みの中にあってさえも心に平安を持ち、その上まわりの人々に多くの励ましさえ与えて、天に召されて行った方々が何人もあります。医者や看護婦たちも驚くほどでありました。私自身もいつ死んでも少しも恐れません。なぜなら、イエス・キリストによって罪が赦されている、罪という永遠の滅びに至る病気から解放されていると確信している私は、この世を去った時に必ず天国に行くことが出来ることをも確信しているからです。
聖書から少しお読みいたします。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5・24)
これはイエス様がおっしゃった言葉ですが、神様を信じた者はこの世に生きている時からすでに永遠のいのちを持っている、死からいのちに移っている、とあります。大変素晴らしい神様の約束です。
今日はいろいろな病気についてお話いたしましたけれども、いちばん怖いのは罪という病気であること、この罪という病気をイエス様を信じて取り去っていただき、どんなことがあっても恐れずに、平安な気持ちで喜んでこの世を生きて行っていただきたいと思います。そして、ご家族の皆様が救われて、子どもの教育とか家庭の内外の問題などいろいろな思い煩いからも解き放たれて、ほんとうの意味での健康な状態になってお過ごしいただきたいと心からお祈りする次第です。