みことばは食べるもの(2000年)

序にかえて

このたび、五年前に出版いたしました、わかりやすい福音メッセージ集『みことばは食べるもの』について、出版社との契約が終了しましたので、よりわかりやすく、読みやすく、より求めやすい価格で、多くの方に読んでいただきたいという思いが与えられ、祈りつつ文章を吟味し直したものを改めて発行いたしました。


申すまでもなく私はひとりの平信徒に過ぎず、聖書の知識にも乏しく、まったく未熟な者であります。なぜこのような者が福音メッセージ集を出版することになったか、その理由についてかんたんに述べさせていただきたいと思います。


私は学生時代から、神は聖書の神であり、イエス・キリストは神の御子であると信じてはいました。しかし、それは信仰と言えるようなものではなく、たんに知識として知っていたのと同程度のものでしかありませんでした。したがって教会に通ってはいても、罪の自覚も悔い改めもなく、イエス・キリストの十字架の贖いのみわざや復活のみわざも、私自身に罪の赦しと、永遠のいのちを与えてくださる神の恵みとして受け止めることはなかったのです。


しかし、そのような罪深い者をも主は愛と忍耐をもって、見捨てず、見放さずにあわれんでくださり、十七年前に大きな試練を与えて私の自我を砕いてくださり、主の前に心からへりくだって、悔い改める機会をお与えくださり、それまでまったく眠っていた私の霊の目と耳を開いてくださったのです。それによって私ははじめてイエス様の十字架と復活のみわざを自分自身のものとして、心からの感謝をもって受け入れることができるようになりました。このときが私とイエス様の出会いのとき、霊的新生のときでありました。


霊が生まれ変わり、目覚めさせられた私にとって、聖書のみことばは、神様ならびにイエス様が私の霊に直接呼びかけて、慰め、励まし、教え、諭してくださる糧となりました。そして聖書には私たち一人ひとりに対する神様のあふれるばかりの愛のメッセージが語られているということを、まだイエス様に出会っておられない方々にお伝えすることが、主のあわれみをいただいた者としての私に与えられた務めであると示されました。十六年前から我が家で始まった家庭集会も、その動機は神様が聖書をとおして私自身に語ってくださったみことばの恵みを、ほかの方々にもお分けしたいという思いが与えられたからでした。


ここに収められた十篇の福音メッセージは、家庭集会や、各地のキリスト集会で行なった福音メッセージの中から選んだものです。お読みになって聖書の同じ箇所が何度か出てきたり、同じような説明が何度かくり返されていることにお気づきになると思いますが、このような箇所は神様が私たちに語ってくださっている重要なメッセージですから、どうそのことに心を留めていただきたいと思います。そしてお読みになったお一人おひとりが、この本をとおして神様の愛と恵みの結晶であるイエス・キリストの救いのみわざをご自分のものとしてお受け入れになり、主に従うまことの平安と喜びと希望に満ちた人生を歩んでいただきたいと、切にお祈りいたします。


主が旧版を用いて数多くの方々にご自身のみこころを示してくださったように、このたびの版もさらに主が用いてくださり、この本をとおして主のご栄光のみがますますほめたたえられますように心から祈りつつ、序にかえさせていただきます。


最後に、主にあって表紙のデザイン制作の労をとってくださったテキスタイル・デザイナー藤村倫子姉に心から感謝いたします。また、この本について終始祈ってくれた妻都代子に感謝します。


二〇〇〇年四月

重田定義




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