医者に治せない病気(1996年)

序にかえて

私が、医学の道を歩み始めてから五十年になりますが、振り返って見ますと、医学に関する知識や技術は、その間に著しく進歩し、それに伴って、この五十年の間に、日本人の死亡の上位を占める病気も、結核などの感染症から癌などの成人病へと大きく変わり、また、日本人の平均寿命も男性では二十六年、女性では三十一年延び、今や世界一の長寿国になりました。そして今日、医学の進歩は、体外受精や臓器移植さらに遺伝子治療にまで及び、また、私たち自身も、医学情報の普及や健康管理の浸透により、自分の健康についての自覚を強く持つようになりました。私たち人間がこのように病気や健康に、飽くことのないまでの関心を抱く大きな理由は、その根本に死に対する恐れがあるからです。一方、医学の、ますます強まる人間のいのちへの介入によって、私たちは、人間のいのちの尊厳性について改めて真剣に考えざるを得ないようになり、その現れとして、医の倫理や尊厳死の問題が真剣に論議されるようになったのです。


しかし、いかに医学が進歩しても、私たちが健康に留意しても、人間は死を免れることはできません。また、いかに倫理的な規制がなされようと、いかに肉体の死が安らかに迎えられようと、それでいのちの問題、死の問題が解決されることはありません。いのちの問題、死の問題は、単に肉体の健康や、肉体の死の問題にとどまらず、たましいの健康、たましいの死の問題であるからです。この問題の解決は、人間の知恵や力、医学の力では不可能であります。なぜならば、たましいの問題は、人間の知恵の領域に属することではなく、神の領域に属することだからです。そして、たましいの病すなわち罪を癒し、たましいを死から救い出し、変わることのない平安と喜びと永遠のいのちの希望を与えることのできる方は、私たち人間の創造主である義と愛の神であり、また、そのひとり子のイエス・キリストだけであります。


私は学生時代から観念的な信仰を持っておりました。しかし、十三年前に神のあわれみによって心砕かれて生きた信仰が与えられ、はじめて聖書を通して人間に対する神の深い愛のみこころの意味、すなわち、神と人間との正しい関係について、また、人間に与えられているほんとうの生と死の意味について知ることができるようになりました。


私は創設以来今日まで二十年余奉職した東海大学医学部を定年退職いたしましたが、この機会に私が学んで来ました医学、医療の中で神が語られている真理を皆様にお伝えすることが、神によって医学徒とされた私に与えられた責任であると感じ、この本を出版することを決心いたしました。


ここに収められた十二のメッセージは、家庭集会、各地のキリスト集会、講演会でたもの、雑誌に掲載されたものの転載などであります。また、最後に、一九九三年二月に行いました退任講演を載せました。お読みになって、聖書の同じ箇所が何度か出てきたり、同じような説明が何度か繰り返されていることに気がつかれると思いますが、このような箇所は、神が私たちに語ってくださっている重要なメッセージでありますから、どうかそのことに心を留めていただき、この本を通して、神の愛と恵みの結晶であるイエス・キリストの救いのみ業を、ご自分のものとしてお受け入れになり、まことの平安と喜びと希望に満たされた人生を歩んでいただきたいと、切にお祈りいたします。


この本を通して、企画から出版に至るすべてを導いてくださった、私たちの造り主であ神がご栄光をお受けになりますように心から祈りつつ、序にかえさせていただきます。


最後に、この本の出版について終始協力し、祈ってくれた妻に感謝します。


一九九五年四月

重田定義




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