私達の国籍は天にあります(1987年)

序にかえて

「私たちの国籍は天にあります」と題する神様からの良き知らせ――福音――のメッセージ集を出版するにあたって、どうしてこの本が作られたか、またどうしてこの題名をつけたかをご説明しなければならないと思います。


私たち夫婦に、一九六三年、神様から一人の女の子が与えられました。結婚してから十年目に与えられた娘まりは私たちにとってたった一人の子供でありました。まりは小さい頃から病気らしい病気もせずに素直で明るい子供として成長しました。父親である私にとって一人娘のまりは、私の宝であり、また希望でもありました。私からすべてのものが取り去られても、まりさえいれば満足という気持ちでした。


幼い頃から自然や動物が大好きであった彼女は、慶応女子高校に入学する頃からそれらをお造りになった神様の存在を素直に認めることが出来たようですが、同時にその自然が人間によって大きく破壊されて行くことに心を痛めておりました。またその頃から、親の影響もあって、医者になろう、それも病人の心の痛みや悩みが理解できるような医者になりたいという思いが強くなり、一九八一年の春、筑波大学医学部に入学しました。


その娘が、入学した年の秋から抑うつ症のために苦しみ始めた時、私はほんとうに驚きました。早速治療を学校にお願いしました。そして、その時、私たちの信仰の友人から吉祥寺キリスト集会の宣教師ゴットホルド・ベック兄を紹介していただきました。神様はベック兄を通して、まりに聖書のみことばを語ってくださり、彼女がそれまで求め続けても得られなかったほんとうの救いを与えてくださいました。まりはイエス様の十字架のゆえに自分の罪が赦されていること、そして信じた時にイエス様のよみがえりに与る永遠のいのちが与えられることを素直に信じ、救われました。親の私たちもその直後にそれまで与えられなかった救いの確信を与えられ、まりの後に続いて水のバプテスマを受けました。


その後、一年間抑うつ症の症状は消えたように見え、彼女は喜んでイエス様に従う信仰の生活と医学生としての生活を送っていました。けれども、一九八三年一月から、再び抑うつ症状が強く起り、主治医の指示によって休学して治療に専念しました。しかし、よく効く薬は強い副作用が出て使えなくなり、治療はなかなか思うように行きませんでした。そして、治療の一環として、主治医の指示によってしばらく高松の宣教師のお宅に預かっていただいておりましたが、その年十二月十三日に高松でこの世のいのちを終えました。


抑うつ症という苦しい心の病気に罹って以来、まりは必死にこの病気と戦いました。医師の指示にしたがって出来る限りの努力をしました。私も医者でありながら、愛する娘の苦しみを取り除いてやることの出来ない自分の無力さをかみしめながらも妻と共に出来る限りのことをしました。そして、私たちは御心ならばどうかまりの病気を癒してください、と心から祈りました。けれども神様の御心は、まりを天国に呼び戻してくださることだったのです。どうしてあのように健康で明るく、優しく、素直で、自分のためには何も欲しがらなかったまりが、純粋に医師として神様のために、人のために働きたいと願っていたまりが、あのような心の病気にかかり、この世を去らなければならなかったのか、今の私たちにははっきりわかりません。原因を考えればいろいろと心に浮かびますけれども、愚かな人間の知恵で考えることが正しいとは言えませんので、それをこの世で知ろうとは思いません。やがて天国でまりと再会した時にすべてのことは明らかになります。そのうえ、その時にはもう何も知る必要がないほどの幸せにつつまれて、永遠に一緒に暮らすことが出来るのです。


ところで、人間は肉体と精神(心)と霊(魂)から構成されています。肉体と精神は動物も持っています。動物も喜んだり悲しんだり人間の命令に従ったりします。これらは精神の働きです。けれども、霊は神様と応答するために人間だけに与えられています。このうち、医療の対象となるのは肉体と精神の病だけです。すべての人間が生れながらに持っている霊の病気――罪――は医者は全く関与することが出来ず、神様だけがそれを癒すことがお出来になります。まりの精神は病みましたが、彼女はイエス様を受け入れた時に罪という霊の病が癒されて、永遠のいのちを持っていましたから、まりはこの世を去った時、ただちに天国に行くことが出来たのです。


残念なことに、まだ一般社会でも、またキリスト者の間でさえも、このことをよくご存じない方は精神の病を何か恥ずべきもののように考える風潮があります。また、信仰と心の病いを混同して、信仰が弱いからこのような病気に罹るのだと考え、信仰によって治させようとする場合があります。けれどもこれは間違っています。信仰の強い弱いに拘らず誰でも癌に罹る可能性があると同様に精神の病に罹る可能性もあるのです。精神の病に対する研究もだんだんと進んで来て、いろいろなことが解明されつつあります。今でもすでにうつ病の原因が脳内の或る化学物質の過不足あるいは伝達段階での不調にあることが明らかになって来ています。肉体の病と同様に精神の病も適切な医療を受けることが必要なのです。


私たちの宝であったまりがこの世を去った時から今日まで、私たち夫婦は寂しくはありましたが、絶望したことはありません。なぜなら、まりも私も妻も天に国籍を持っているからであります。私たち家族は皆イエス様の十字架による罪の赦しを信じ、永遠のいのちを持っておりますから、ひと足先に天に行ったまりに必ず再会することが出来ます。これは、私たちの想像で考えたことではなく、私たちを造ってくださった神様が御子イエス様の十字架とよみがえりによって保証してくださっている事実であります。まりが召されてから今日まで、考えられないような力で私たちを守ってくださったことによっても「わたしはあなたを、わたしの義の右の手で守る」とおっしゃる神様のみことばの真実さを体験することが出来ました。


「宝のあるところに心もあります」と聖書に書いてありますように、私たちの心はすでにまりとともに天にあります。けれども、私たちはまりがこの世にあった時にどんなにイエス様の救いを一人でも多くの方に伝えたいと願っていたかをよく知っています。そして、何よりもこのことは神様ご自身が願っていらっしゃることであります。私たち家族三人を十字架の贖いによって、永遠に生きる者としてくださったイエス様の愛に答えるためにも、また、まりが地上にいた時に切に願っていたように、私たち夫婦はこの世のいのちのある限りイエス様の救いを一人でも多くの方にお伝えしたいと祈りました。すると、半年後の一九八四年六月から家庭集会を始めるように導かれたのです。以前には全く考えてもいなかったことでした。それから今日まで毎月一回の家庭集会は神様からの祝福をいただき、良き助け手も与えられて、続いております。


そして、まりが召されて三年目の記念日を間近にして、何をするべきか神様に祈っておりましたところ、この本を出版するように示されたのです。内容は、毎月の家庭集会で、また吉祥寺キリスト集会で、あるいは軽井沢の修養会で私が福音のメッセージを取りつがせていただいた時の録音テープの中から選んだものです。聖書の知識に乏しく、ほんとうに拙く、未熟なことは、私自身が一番よく知っておりますが、私の力は弱く、また知恵は愚かであっても聖書のみことばは力そのものです。聖書を通して神様が私に示してくださっていることを、御霊の助けによってそのまま取りつがせていただきました。録音テープから文字に変える作業をし、表紙の題字を書き、野の花の写真を撮ったのは妻であります。そして、姿は見えませんけれども、この本を出版する原動力になっているのはまりです。まりがいなければ、家庭集会もなく、この本の出版もあり得ませんでした。したがって、この本の著者は私だけではなく、私たち親子三人なのです。しかし、このように導いてくださったのは神様であることは申し上げるまでもありません。


なおここで一言付け加えさせていただきたいことがあります。それは私の取りつぐメッセージには必ずイエス・キリストの十字架による罪の赦しについて、よみがえりによって与えられる永遠のいのちについて述べられているということです。お読みになって、ああまたか、とお思いになるかも知れませんが、これこそ聖書全体を通して神様が私たちに提供してくださっている救いそのものだからです。教会に行っても、聖書を読んでも、神様ご自身がいのちがけで提供してくださっているこの一方的な恵みを素直に受け入れることが出来なければ、救いをまわりから見ているだけで、自分のものにすることは出来ません。これは私自身が体験的に示されたことであります。そのために聖書のこの核心について、メッセージのたびごとに語ってまいりました。


どうか、お読みくださる皆様がその事実を心にとめてくださり、一人でも多くの方がこの本を通してイエス・キリストの愛と恵みの結晶である救いのみ業を、ご自分のものとしてお受け入れになることが出来ますように、心からお祈りいたします。


神様のご栄光がこの本を通して現わされますよう切に祈りつつ、序にかえさせていただきます。


最後に、装幀の奉仕をしてくださった、グラフィックデザイナー飯守恪太郎兄に心から感謝申し上げます。


一九八六年十二月

重田定義




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