アイスレーベンの乞食


655 [96/01/08 17:31] GBE01560 アイスレーベンの乞食〔1〕/よっちゃん

●ミーハーの目で見る よっちゃんの 週刊・歴史小説 れれ

焚き木を背負って帰って来た母ちゃんに、マルチン坊やは、ひどく叱られました。 母ちゃんは、情けなくて仕方ありません。
節約しようと、母ちゃんが、山へ焚き木 を集めに行ってる間に、マルチンは、くるみを盗み食いしてしまいましたぁ。あちゃ

遡って、母ちゃんと、マルチンの父、ハンス・ルターが、アイスレーベンの鉱山 労働者一時宿泊所にたどりついたのは、
たぶん1483年の秋も深まりゆく頃だっ たそうです。マルチンがその一時宿泊所で誕生した年は、正確には、わかりません。
ただ、誕生日の翌日の洗礼日が、11月11日の「聖マルチン」の日だったのを、 母ちゃんは、覚えていました。チューリンゲ
ンから、鉱山の街に出てきたハンスは、 すごい働き者でした。やがて、なんと、この街で、4つの溶鉱炉を持つまでになり
ます。そして、ハンス父ちゃんは、自分ができなかった学問の夢を、マルチンに託 すのでした。 が、その夢を負いきれない
マルチンは、不登校を起こし、ついには エルフルトの修道院の裏門に立つことになろうとは、この時は誰も知りませんでし た。

母ちゃんに、きつく叱られたマルチンは、ひとりお山に沈んでいく夕日を眺めて いました。ウィッテンベルグにも、ウォルムス
にも、平穏に陽が沈んでいきました ・・・・・次週へ 続く ホンマカイヤ よっちゃん(GBE01560)

昔、FEBC放送講座で1年間勉強して、レポートしたのを、 読み物風に手直ししてみました。




671 [96/01/12 22:02] GBE01560 アイスレーベンの乞食(2)/よっちゃん ●ミーハーの目で見る よっちゃんの 週刊・歴史小説 その2

「1498年の Eisenach」 1498年の、とある日・・・・

バッハ(Johan Sebastia Bach)が、アイゼナハ(Eisenach)に生まれ る200年ひと昔。 そのドイツの街、アイゼナハに、
マグデブルグか ら出てきた15才の少年がいましたぁ。そして、彼は、やがて小さいバ ッハも通うことになる聖ゲオルグ
教会付属学校に、4年間学んでいます。 少年の名は、マルチン・ルター。そして、この街でマルチンの寄宿し、 マルチン
を優しく見守ってくれたコッタ夫人の家は、現存しているそう です。さてさて、話しを戻して・・・

銅鉱山の労働から、溶鉱炉の持ち主にまで、出世したハンス父ちゃん。 えらいぞ父ちゃん。 「人間こつこつ小さい事か
ら。」れ。そして、父ち ゃんの大きな夢は、マルチンを立派なひとかどの法律家にする事でした。 マルチンの教育費の
ためなら、多少の出費も痛くない。法律学を制覇し て、良ければ、小さな街の町長さんに。悪くても、鉱山関係の法律
顧問に。 ハンス父ちゃんの夢は膨らむばかり・・・^^;;

やがて、歴史の中で20年後に、そのちっぽけな少年が、やせこけた 一人の修道僧として、異端審問にかけられる事
など、誰も想像できません でした・・アレマー ドーシマショ^^;; 次週に続く あれ ドーナッテンノ 文責 よっちゃん(GBE01560)


711 [96/01/19 17:41] GBE01560 アイスレーベンの乞食(3)/よっちゃん ●ミーハーの目で見る よっちゃんの 週刊?・歴史小説 その3

「1505年 6月20日の Erfurt」

フランクフルトから、ライプチッヒに向かう列車が、旧ベルリンの壁のあ たりを越え、旧東ドイツ領に入る。最初に列車が止
まる街が、アイゼナッハ (Eisenach)。 よっちゃんが、行った時は、チューリンゲンの森の緑が美し かったぁ頃でしたっけ。
(ウソ ウソ マッカナ ウソ^^;;) さらに、50kmほど、列車が東に走ると、いよいよエルフルトです。

エルフルト。 人口、2万人。南欧やオリエントの交易物資の行きかう街。 そして、エルフルト大学の街。また、ローマ・カトリッ
クを代表する施設も よりどりみどり。 1501年の春、この街に来たマルチンも、もう22才。 200人入学した同期生も、専攻
科まで進む頃には、17人。マルチンは、 2番で、専攻科に上がっています。 いよいよ、5月20日にスタートした 法律学講座
もすでに、一ヶ月。 マルチンの机には、ハンス父ちゃんがプレ ゼントした高価な「法律全集」が積みあがっていました。


でも、私達には、問題がひとつあります。私達は、残された文献や資料を 詳細に調べても、どうして、その希望輝くはずの
6月20日に、マルチンが、 休暇を願いを出して、旅立ったか、正確にはわかりません。1年の教養課程 の後、1年半の修士
課程。 そして、 ついに、はいった憧れの法律学の専門 課程。 しかし、 なぜか休暇願いを出して 6月20日に、彼は、出発し
て 北の両親の住む、故郷、マンスフェルトへの道を歩いています。マルチンは、 それが徒歩で長い旅だった事だけを記して
います。 もう夏が、すぐそこに、森には、小鳥が、さえずっていましたぁ ・・・次週へ?

★いつも喜んでいなさい。1テサ5:16/ミネストローネ・よっちゃん★



755 [96/01/26 21:54] GBE01560 アイスレーベンの乞食(4)/よっちゃん ●読んでる人も ミーハー^^;; れ! よっちゃんの週刊・歴史珍小説! (4)

「俺は、アウグスブルグの フッガー!」

今週は、気分を変えて、エルフルトより はるか 南、アウグスブルグで〜す。 アウグスブルグ中央駅で降りて、駅前通りから
東に800mほど行くと、フッガー ・ハウスがあります。 ハウスの地下は、レストランになってるそうですが、ここに 巨万の富を
築いたヤーコブの おうちがありましたぁ。

ヤーコブ・フッガーは、マルチンより 20年早く生まれています。 フッガー家は、 織物屋さんからスタートして、チロルを越えて
商業するうち、南部の銀銅鉱山を担保に 金融をなし、担保おとしで、銀銅鉱山権を取得し、さらにそれで儲けた金をまた高利
で 貸す・・・。このパターンで、ついには、アウグスブルグの豪商として、名をあげるよ うになります。 ついには、ハプスブルグ
家や、ローマ教皇にさえ融資。国王や教皇の 名を知らぬ人も、フッガーの名は知っていたそうです。 まさに、黄金の都、アウ
グス ブルグ、巨万の富。れ。 行きたいなァ。\(^_^)/ れ。あら。


さて・・・・ 1514年ころ、24才の ブランデブルグ選定候の弟の アルブレヒトは、なんと 3司教区の兼任、大司教になっていま
すが、それと前後して、彼は、ローマに 2万 4千ドゥカーテン(なんと 2億円相当)献納金、つまりワイロを送っています。 こ の
法外な金額を調達して、直接支払ったは、な なんと アウグスブルグの フッガー商 会だったんですね。 フッガーがとった抵当
は、「インドゥルゲンティア (ラテン語: Indulgentia)/免贖(めんしょう)のお札、スペシャル効果版^^;;」の、3司教区内・ 販売金の
50%です。いったいこの頃の、教会って、なんなんでしょ・・・^^;; まぁ、そんなこんなで、こうして、ドミニコ会の修道士とフッガー
の手代の、お札の 行列が、もうじき、この物語に登場する事になります。もう、ちょっとあとでね。(^_-)

フッガーって、きっと、悪いやつかしらと思ったのですが・・・ アウグスブルグのもうひとつの名所は、フッガーの福祉事業の遺跡。
あれ。 「フッゲライ」Fuggerei。1516年から、23年かけて、フッガーが作った貧民救済 の福祉救済施設です。
現在も、67軒147戸が有り、一戸が博物館になっています。 家賃は、16世紀、年額で 1.72マルク(130円) 当時の豪商達は、
なぜか、 反面、福祉事業をなしています。 フッガーって、不思議な人ですね。

歴史は、ロマンですね。さて、故郷にとんずら^^;;した 私達の主人公? マルチンは と言えば、1505年6月30日。再び、
マンスフェルトを出発、エルフルトに向かっ ています。 同、7月2日。とある村をさしかかる頃、天候悪く、雷のけはい。

・・・・・ 次週へ つづく ★いつも喜んでいなさい。1テサ5:16/よっちゃん★



785 [96/02/01 09:41] GBE01560 アイスレーベンの乞食(5)/よっちゃん

「ハンス父ちゃんの目に涙・・(;_;)」

エルフルトにあるアウグスチヌ派隠修・修道会・戒律厳守派修道院も、第2次 大戦の戦災にあいましたぁ。 いま、エルフルトを
訪れると、 そこには修復さ れて教会の研修・宿泊施設になった修道院が建っています。ソーデス^^;;

★ 「きょう、君達が私を見たら、今後、もう二度と君達は私を見ることはないだ ろう!」 1505年7月17日。マルチンは、なんとか
思い留まらせようと する学友達の努力もむなしくエルフルト隠修士会修道院の裏門に立っていました。 彼自身は卓語録で、7月2
日にマンスフェルトからの帰り道に、おりからの雨 の中の、あの落雷。その瞬間に「聖アンナ様、わたしをお救いください。わたし は、
修道士になります・」と叫んだと記しています。 でも、どうして彼が、 いよいよ法学専門課程にはいった希望のときに、休暇届けを出し
たのか。故郷、 マンスフェルトで、ハンス父ちゃんと何を語ったのか? 歴史は、謎だらけです。 ただ、雷が落ちたことと、彼が隠修士
会にはいった事は史実です。そして、ハ ンス父ちゃんの、失望は大きく・・・(;_;)、それから2年間、マルチンに会って いません。


★ 晩年、マルチンは、この頃を振り返って、「修道のはじめより私が持っていた 問いかけは、いかにして恵みの神を獲得するか?
であった。」と記しています。 こうして、法律全集のかわりにマルチンはラテン語ウルガタ版の聖書と、毎日を 過ごすようになります。
そろそろ夏のシーズン。 森から風が 吹いてきます。 まるで、見送る青年と修道院にはいっていく青年に、少しも気がついてないみ
た いに、、、マルチン・ルター、22才。 ドイツの夏の空は、遠く透きとおって いましたぁ。 ホンマカイヤ・・・れ。 ・・・・次週・御期待^^;;

★いつも喜んでいなさい。1テサ5:16/よっちゃん★