重田定義兄のメッセージ
2005年9月6日、吉祥寺学び会
重田定義
コリント人への手紙第一、5章6節-8節
6 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。
司会の兄弟に読んでいただきましたこのみことばから今日は、「信仰におけるパン種とは何か」ということにつきまして、ごいっしょに考えたいと思います。
どなたもご承知のように、パン種というのはパンを作る際に、練った小麦粉を発酵させてふくらませるために用いる酵母、イーストのことであります。パン種はパンをふくらませるとともにこの発酵が進み過ぎますと、パンを腐敗させてしまいます。イエス様はこのだれでも知っているパン種を例にとって、弟子たちやイエス様の話を聞きに集まった人々に、信仰を正しく守る上でどんなことに気を付けなければならないかを教えさとされました。イエス様は次のように仰っています。
マタイの福音書16:6
6 「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」
同じような注意をイエス様はマルコの福音書の8章15節でも仰っています。
マルコの福音書8:15
15 「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」
ご存知のように、パリサイ人というのはユダヤ教の一派であり、律法の実践に熱心なことを自負している人々であります。そして多くの律法学者はこの派に属しておりました。しかしながら彼ら自身の律法の守り方は実際には全く外面的、形式的であり、イエス様はそのような彼らを偽善者と次のように激しく非難されました。「彼らの行ないをまねてはいけない。」、弟子たちや群衆に命じられたのであります。
マタイの福音書23:3、5、23
3 彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
5 彼らのしていることはみな、人に見せるためです。
23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの(・・・・これはいずれも香味料です。あるいは薬剤に使う貴重な植物であります。・・・・)十分の一を納めているが、(・・・・これは神さまへの供え物として納めているという意味です。・・・・)律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。
25 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
このように厳しく彼らをイエス様は非難されております。また、ここに出ているサドカイ人というのは、祭司階級、あるいは上流階級に属しまして、合理主義的、現実主義的な考えによって律法を解釈し、その結果肉体の復活、あるいは神さまによる審判、神さまによる報いというものを認めない人たちなのです。
そしてヘロデのパン種と言われているヘロデとは、これもご存知のように当時ユダヤの領主であったヘロデ・アンテパスのことを指しております。彼は異母兄弟の妻のヘロデヤを自分の妻としたというような、近親相姦の罪をバプテスマのヨハネに指摘されたことをたいへん怒って、ヨハネを殺した人物です。飽食かつ放縦な人間であります。
イエス様は彼らの教えや生き方をパン種に例えて、信仰というパンの中にそのような間違った教えや悪い生き方がはいると、たちまちふくれ上がって、信仰が腐敗してしまうから気をつけなさいというように警告されたのであります。パウロは、今、読んでいただきましたコリントの教会の信者に宛てた手紙で、「イエス様を信じる信者はパン種のはいらない純粋なパンでなければならない。」と書いています。そしてその理由についてパウロは、「私たちの過越の小羊が、すでにほふられたから。」と言っております。
過越とは、神さまのさばきが通り過ぎるという意味でありまして、神さまはかつてイスラエルの民をエジプトから脱出させられたときに、神さまが命じられたとおり、傷のない小羊をほふって、その血を家の入り口と鴨居に塗ってあるイスラエル人の家は神さまがその血をご覧になって、その家の者をさばかずに通り過ごされた。けれども小羊の血を塗っていないエジプトの家の初子は全て打たれたということを彼は知っております。そのとき神さまがイスラエルの民に仰せられたみことばは次のようなものでありました。
出エジプト記12:12
12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々(・・・・これは当然偶像の神々ですが、・・・・)にさばきを下そう。わたしは主である。
13 あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
14 この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。
15 あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイスラエルから断ち切られるからである。
こうしてイスラエルの民は毎年、神さまの救いの恵みのしるしである過越の祭りを守って、その度に神さまの仰せに従って、過越の小羊をほふり、種なしのパンを食べて祝ってきたのであります。この小羊のいけにえは、人間を罪の束縛から贖い出すために身代わりとして十字架の上で血を流し、肉を裂かれた主イエス・キリストを象徴するものであり、またイエス様が十字架に架かられる前に、弟子たちと晩餐をとられたときに仰ったみことばです。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」このようにパンをイエス様は取って仰せになった。そしてまた、杯をお取りになって、感謝をささげて後に、こう彼らに言ってお渡しになりました。「みな、この杯から飲みなさい。これはわたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」今のみことばはマタイの福音書の26章の26節から28節に記されているみことばでありますけれども、こういうふうにイエス様が言われたことを記念して、キリスト者が守り行なうことになった主の聖餐の原型であります。イエス様がまことの過越の小羊であると言われたのは、こうしたところから来ているのであります。
イエス様を信じる者が、パン種の入らない純粋なパンとなることができたのは、このように過越の小羊としてのイエス様が十字架の上で流された血によって、尊い、聖い血潮によって自分自身に生きていた、あるいは今まで間違った信仰に陥っていた、こういうふうな神さまのみこころにそむく罪のパン種が取り除かれたからにほかなりません。しかしながら、このように神さまの大いなるあわれみと恵みによって、聖められたパンとされた私たちキリスト者に再びパン種が入れば、そのパン種はキリスト者の中でふくらんで、私たちの信仰を腐敗させ、堕落させてしまうのであります。パウロが先ほどのコリント人への手紙で、
コリント人への手紙第一、5:6-7
6 あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。
と警告されているのはそのためであります。この古いパン種とは、律法のことであり、また律法的な考え、すなわち行ないによって義とされるという考えを指しております。これについてパウロはガラテヤの教会の信者に宛てた手紙で次のように注意をしております。
ガラテヤ人への手紙5:2-9
2 よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。
3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。
4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
5 私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
6 キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。
7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。
8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。
9 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。
このようにパウロは言っております。パウロはガラテヤの教会の中に、イエス様を信じた者でも割礼を受けなければ救われない、割礼を受けなければ神様から義と認められないという律法的な間違った教えが広まり進むのを心配して、これを正しい信仰の妨げとなるパン種の弊害として以上のように信者に注意を促したのであります。イエス様を信じる者は聖徒と呼ばれます。聖徒とは聖別された者という意味であって、イエス・キリストの贖いのみわざによって、この世に属する者から聖め別たれて、聖なる神に属する者とされた者であります。パウロはこのように、主の愛とあわれみによって聖徒とされた者はどのように歩むべきか、何に注意しなければならないかをエペソの教会の信者に宛てた手紙の中で次のように書いております。
エペソ人への手紙5:1
1 ですから、愛されている子どもらしく、(・・・・主に愛されている子どもらしく、・・・・)神にならう者となりなさい。
2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。
4 また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。
7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。
このようにパウロは、聖別されて神に属する者となった聖徒が、悪いパン種によってその信仰が腐敗しないように細々とした注意を、指示を与えております。またパウロはコリントの教会の信者に宛てた手紙には、聖別されて神様の民とされた信者が、神さまの命令を守って、不信仰な者と交わらず、汚れたものに触れないようにすれば信者は神さまの息子、神さまの娘となるというように約束してくださっているのですから、一切の汚れから自分をきよめて、主なる神さまを恐れかしこんで、聖きを全うしようではないかというように信者に勧めております。この個所はコリント人への手紙第二の6章の14節から7章の1節にわたって記されております。
コリント人への手紙第二
6:14 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
6:15 キリストとベリアルとに、(・・・・ベリアルとはサタンのことですが、・・・・)何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
6:16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
6:17 それゆえ、彼らの中から(・・・・これは不信者です、・・・・)出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
6:18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
7:1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
またペテロは、私たちキリスト者が聖くあらねばならないのは、召してくださった神さまがわたしが聖いから、あなたがたも聖くならなければならないと仰せになった。その主の仰せに従うためであるというように言っております。
ペテロの手紙第一、1:13-16
13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
14 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、
15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。
16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。
私たちキリスト者が、パン種を入れない純粋なパンであることを求められるのは、以上のような理由からであります。またパン種はキリスト者、個々人の信仰を腐敗させ、聖徒を生きた信仰から死んだ信仰に堕落させるだけではありません。教会全体をも、集会全体をもキリストの生けるからだの教会から死んだ教会に堕落させる働きがあるということに、私たちは信者は注意をしなければならないのであります。パウロはコロサイの教会に宛てた手紙で次のように戒めております。
コロサイ人への手紙2:6-8
6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
8 あのむなしい、だましごとの哲学(・・・・これは当時、コロサイにありました異端的な思想を指しておりますが、それ・・・・)によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。
16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭り(・・・・ここの祭りというの、この異端の教えに基づく祭りですが、祭り・・・・)や新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるもの(・・・・これは地位的なものです。・・・・)についてであって、人間の戒めと教えによるものです。
このように当時コロサイの教会にはいり込んで、信者たちを惑わしていたパン種であるところの異端の教えから離れて、教会のかしらなるイエス様に堅く立つようにと信者たちを戒めております。さらにパウロは愛する弟子のテモテに宛てた手紙の中で、教会に近づきつつある危険について警告するようにと、次のように言っております。
テモテへの手紙第一、4:1
1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
テモテへの手紙第一、6:3-5
3 違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、
4 その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、
5 また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。
これは教会の中にこういうことが起こっているということです。
主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人とはいったいどういう人でありましょうか。どういう信者でありましょうか。それはイエス様のみこころに反して、自分の肉の思いにとらわれ、主にある兄弟姉妹の心を動揺させて、そのような言動によって主の御からだなる教会、すなわち集会の中の霊的な不一致をもたらす、一致を乱す、そういう信者のことであります。そのような心ない信者の言動というのは、たちまちサタンによって用いられて、お互いの間に、信者のあいだに信頼ではなくて不信感、あるいは不一致のパン種をもたらすようになってしまうのであります。
このように教会は、あるいは、集会はいつもさまざまなパン種が入り込む危険があります。そして主の御からだなる生きた教会をそれによって腐敗させ、死んだ教会、死んだ集会に堕落させてしまう一因ともなりうるのであります。主のご再臨が間近い終わりの時代にあって、私たち信者は常に自分の信仰にパン種が入り込まないように警戒し、新しい純粋な粉のかたまりであり続けるために絶えず御霊に拠り頼み、肉の思いが取り去られるように祈る必要があります。それとともに私たちは主の御からだなる私たちの集会が、このパン種によって汚染され、汚され、そして主のご栄光が損なわれないようにパン種のない、聖い、生きた教会としてますます主の光を輝かせ続けることができるように心を合わせて、ともに祈らなければならないと切に願う次第であります。
最後に一ヶ所みことばをお読みして終わりたいと思います。
ペテロの手紙第一、4:7-11
7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
9 つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
11 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
どうもありがとうございました。