【1】望みの神、ブラッドレイ君の請求書
高橋義夫兄
(坂口梅子姉 前夜式、2009/12/24)
親しかった方が天に召されるたびに、天国は身近になっていきます。
今日、こうして梅子姉の前夜式ということで、親しかった方々、ご友人、兄弟姉妹が、ひとつに集められましたから感謝です。
坂口梅子姉は、大阪に来てすぐ、わが家でしている集会に来てくださって、「証し」と呼んでいますけど信仰の体験談を話してくださいました。
病気を与えられてからも、一昨年 生駒の家庭集会でもお話しくださって、病気を与えられましたが、自分でも思った以上に
平安ですと語られて、わたしたちも励まされました。
その時の証しの原稿をぼく梅子姉にもらって持ってるのですけど こんなふうに話されていました。
「
そして、もっと大きな専門の病院へ紹介状を書いてもらいました。
大きな癌の専門の病院ではまた詳しく検査して CTをとったり 胃カメラ、
鼻からチューブを入れて咽頭を検査したり、肺や食道なども検査しました。
どういう治療法があるかとか、その治療のつらさや、からだへの負担などを お
聞きしました。最近の病院は、患者の前で病気のことを告知するので 驚いてしまいましたけど、イエス様に救われていたおかげで、心を落ち着けて 心の中で「イエス様、イエス様」と祈る思いで、すべてのことを主イエス様にたくす気持ちで聞くことができました。」
その病気の告知が終わったあと、近江八幡の喜びの集いへ行かれたり、家庭集会にも集われたり。出にくい声でも、「体調どうですか?」って質問すると、よく答えてくださいました。 今回、葬儀の事を連絡してて、私たちはよく知っていますが、近江八幡の集いで始めて会われた方とか、梅子姉の印象が、「あの、ハスキーボイスのおばあちゃんでしょう。」 ハスキーボイスで有名になっていました。 最後は、声もあまり出なくなりましたが、ハスキーボイスの時に、梅子姉に、ゴスペルとか歌ったらどうですか?って言ったら笑ってられました。
私達の集会のベック兄がよくおっしゃいます。
今日は、前夜式、明日は葬儀。それから記念会納骨式、家庭集会。わたしたちは、いろんな名前のついた集会を開催します。でも、すべての集会は、表向き名前が違うだけで中身は同じだよ。それは、喜びの集いである。
別れの悲しみや、時には突然の死や、痛みを伴う死もありますが、それにもかかわらず葬儀でさえも、喜びの集いであるとおっしゃいます。その理由は、私達の主イエス様の神様が、望みの神であるからです。
ローマ人への手紙15:13
13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
毎日みなさんが、日々労苦されていますように、現代の特徴は、絶望です。望みがないということです。もう、おしまい。
病気になっちゃった。もうおしまい。仕事がうまくいかない、もうおしまい。でも、梅子姉の病床がいろいろあっても平安であったように、ほんとうの神様は、どんな時にも望みを下さる神様です。
この世には、目には見せませんが、天国の希望があり、望みがあり、救いの道がある。そのことの、4つのたしかな証拠があります。その4つの証拠をご紹介して、メッセージに変えさせて頂けたらなと思いました。
わたしたちの神様は、望みの神様です。その証拠のひとつは聖書です。ひとつは、神様が聖書を残されたことです。
私は、学校で使う教科書に関係するお仕事をさせて頂いていますが、今年は、小学校の
教科書の改訂年度、来年は、中学校教科書の改訂年度で、ほぼ4年に一回の教科書改訂に向かってたいへんです。短くて4年、長くて6年で、文部省検定教科書は改訂しないとどうもうまくない。
でも、新約聖書はどうでしょう。2,000年近く、旧約聖書はもっともっと改訂の必要もなく、神様の真理を私達に伝えています。その聖書が、望みの神がいらっしゃると伝えています。
さきほど読んで頂いた、1コリント2章9節の出だしに
「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。」とあります。聖書が望みの神様がいらっしゃる一番目の確かな証しです。
ふたつめは、みことばを信じ歩んできた者の証しが、望みの神の真実を伝えています。そのことは、「悩みながら、苦しみながらも、喜ぶことができる。」と言う言葉で表現されます。
ヨハネ6章37節に「そして、わたしのところに来る者を、私は決して棄てません」とあります。イエス様の所に来た者の姿が、イエス様の真実を伝えています。
梅子姉の病床も、イエス様の平安がありましたが、
私達も親しかったある召された兄弟は、この世的には召されるにはまだ早かったのですけど、余命が少ないのを知っていても、その病室は平安に満ちていました。
それで、お見舞いに来た人と別れる時のご挨拶が、「つぎは、天国で会いましょうね。」だったんです。多くの兄弟姉妹が、平安でいられるはずのない状況で、平安に望みを持ち続けた証しは、望みの神が本当にいらっしゃる大きな大きな証しであり証拠です。
梅子姉は、賛美が好きで、賛美を聞くと平安に うつらうつらされたそうです。
美代子姉が、CDの機械がないので、今度 お見舞いに来たら カセットテープを持って来て欲しいとおっしゃってたんですけど、きっと梅子姉は、CDやカセットではなくて、天使のライブ合唱の賛美を聞いていると思います。
こんな状況でも、平安でいられると言う信じる者の姿が、望みの神様の真実を伝えています。
つづく
【2】望みの神、ブラッドレイ君の請求書
高橋義夫兄
(坂口梅子姉 前夜式、2009/12/24)
今日は歌いませんが、姉妹がよく歌われた賛美のひとつに、日々の歌180番があります。有名な賛美歌で、みなさんも一度は聞かれたことがあると思います。この賛美歌は、1904年に出版されました。
「いつくしみ深き」って歌詞が有名でしょうか。
この曲の作詞者、ジョゼフ・スクラビンさんも、たくさんの苦しみ悲しみに会いながらも、イエス様の素晴らしさ、望みの神様を信頼し続けた方でした。
彼は、二回にわたって愛する婚約者を、事故と病気でなくしています。
それでも、彼は、「いつくしみ深い主よ。」と告白することができました。
What a friend we have in Jesus! なんて、イエス様はすばらしい友でしょうって感嘆文なんですけど。
少しその直訳の詩を読むので耳をすまして聞いてくださったら感謝です。
1番
なんと言うすばらしい友でしょうか。主イエスが私達のすべての罪と悩みを負ってくださるとは!
なんと言う特権でしょうか。すべてを神に祈ることができるのは!
しかし、なんとしばしば私達は平安を受け損ない、無駄に心を痛めるのでしょうか。
すべてを神に告げる祈りをしないからです。
2番は
試練や誘惑に出会っていますか?困難がありますか?
失望してはいけません。主に祈りなさい。
こんなに真実な友があるでしょうか、私達のすべての悲しみを感じてくださると言う方が。
主イエスは、わたしたちの弱さを全部ご存知です。主に祈りなさい。
3番
重荷に弱り、心労に疲れていますか?
貴い主は、私達の逃れ場です。主に祈りなさい。
友に軽蔑され、捨てられていますか。主に祈りなさい。
主はそのみ腕にあなたを抱き、あなたを守ってくださいます。そこにあなたは慰めを見いだすでしょう。
この賛美歌は、「イエス様に祈ってごらん。そこに平安があるよ。」と語っているように思います。梅子姉が大好きだった賛美歌のひとつです。
つづく
【3】望みの神、ブラッドレイ君の請求書
高橋義夫兄
(坂口梅子姉 前夜式、2009/12/24)
そして、三つ目の証拠は、わたしたち一人一人の心の中にあります。
もし、望みの神がいらっしゃらないなら、世界はなんと絶望に満ちて不条理なことでしょうか。望みの神なんていないと、私達が否定しようとしても私達の霊が 心の奥深くが、望みの神様がいらっしゃるに違いないと知っているように最近思います。
神様はいないと叫ぶ無神論者の心が、私を救って下さる神様がいるはずだと叫びを上げているように、神様は人間を造られた時に仕組まれたようにさえ思います。
いま読んで頂いた聖書の言葉の最後に
1コリント2章10節
神は、これを御霊によって私たちに啓示されたのです、御霊は、すべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
わたしたちは、どんなに失望の底にあっても、絶望のふちにあっても、わたしたちの心のすみに、たましいの中に、望みの神がいて、私を救ってくださる。
私を救う神がいてくださる。そのことを知っているのではないでしょうか。
また、神様も呼びかけてくださっているのではないでしょうか。
望みの神の証拠を3つ見てきました。
1番目は聖書のみことばがある。2番目多くの兄弟姉妹のあかしがある。3番目わたしたちの心が望みの神がいなければとどこかで知っています。
最後に短く短く4番目の望みの神様がいらっしゃる決定的な証拠があります。「望みの神」がいらっしゃる動かせない決定的証拠。みなさん、なんだと思われるでしょうか。
それは、2,000年前、ゴルゴダの丘に、イエス様がかかられた十字架が立っていると言う歴史的な事実です。それは、歴史的事実で、現実に起こったことで、誰もそれを否定できません。そしてそれは、神様の愛を語っています。
わたしたちの我が儘も罪も汚れも、全部背負って、2,000年前にイエス様はゴルゴダの丘の十字架にかかってくださり、そこから「私は、あなたを愛しています。」と言うメッセージを語っていてくださいます。
わたしたち人間は本当に、失望すること、悲しむことが上手です。その失望や絶望に対して、今紹介した4つの証拠は、はっきりと私達を愛し、私達のために十字架にかかって愛を示してくださった望みの神がいらっしゃることを示しています。
目が開かれたら、この世界は、その望みの神のご愛に満ちています。
梅子姉はそれをよくご存知でしたから、平安に、イエス様のところへ行かれました。
つづく
LAST【4】望みの神、ブラッドレイ君の請求書
高橋義夫兄
(坂口梅子姉 前夜式、2009/12/24)
時間が来たので最後のエピーソードになりますが、最後に、子供集会で、よく「ブラッドレイ君の請求書」と言う話しをします。私は、こども集会専門で、話が子供集会になって申し訳けありません。
ブラッドレイ君は、お母さんにいろいろ言われるのが嫌だったんですね。でも、お母さんは、お使いに行きなさいとか、音楽のお稽古に行きなさいとか、言うんです。
ブラッドレイ君は考えるんですね。なんとか逃れる方法はないかしら。
ある日曜日の朝、ブラッドレイ君は、お母さんに一枚の紙を渡すんです。それは、ブラッドレイのお母さんへの請求書。合計請求額が、4ドル。
内訳は、お母さんのためにお使いに行ってあげました代金、1ドル。お母さんい頼まれてお掃除しました2ドル。言われたとおりに、音楽のお稽古に行きました。1ドル。で、合計4ドル。お母さんに、朝、渡しました。
結論を急ぎますと、日曜日のお昼に、お母さんは、ブラッドレイ君に、ちゃんと4ドル渡してくれました。そして、もう一枚の紙を渡すんです。ブラッドレイ君は、4ドルもらって、大喜びします。
で、もう一枚のその紙を見てみると、今度は、「お母さんからブラッドレイ君への請求書。」だったんです。
内訳は、ブラッドレイ君に親切にしてあげた代金。ブラッドレイ君が病気した時の看病代金。ブラッドレイ君の服やおもちゃ代金。ブラッドレイ君のお部屋代金・・・。ブラッドレイ君がたいへんな時、励ましてあげた代金、たくさんたくさん項目が並んでいます。そして、このお母さんからブラッドレイ君への
請求総額は いくらだったでしょうか。 ブラッドレイ君からお母さんへは4ドルでした。
話しの流れで想像つくでしょうか。お母さんからの請求書は、合計請求金総額が、0ドル(無料)になっているんです。看病してあげました代金0ドル(無料)。服代、0ドル。励ましてあげました0ドル。あの時助けてあげました0ドル。
このお話しで、いつも思うんです。望みの神様がいらっしゃる決定的な証拠は、ゴルゴダの丘に立っているイエス様の十字架です。それは誰が否定しようとしても、否定しようがない事実です。
そして、その十字架は、値なしに、イエス様がくださった。イエス様が私の罪を全部背負って、痛みながら十字架にかかった代金は、なんと0ドルなんです。お母さんの請求書と一緒なんです。値なしに私に与えられる。
人間の愛は、いつも条件つきで、請求書のついてくる愛です。でもイエス様が
くださるもっと大きな愛は、プライスレスで、こんなにも大きな愛なのに、
請求は 無料なんですね。
梅子姉は、そのイエス様を信じて、その望みの神様を自分のものとして天に行かれました。そのことを、私達ひとりひとりも心に覚えることができたら幸いに思います。
私が持ってる 梅子姉の証しの原稿の最後は、こんなふうに終わっていました。
「「
次男の坂口守が召された時、守はすでに救われており、キリスト集会でのお葬儀は綺麗な花がいっぱい飾られ、天国で再開できるという喜びと、永遠の命をイエス様が約束してくださっている確信に満ちて、息子が亡くなったというのに、少しも悲しいことが無く、周りの人から、なぜそんなに平安でいられるの?と不思議がられました。
私も最初にベックさんにお会いした時「いつも喜んで感謝して 祈っていれ
ば良いんだよ。難しく考えなくて良いんだよ。」とおっしゃっていただき、その
ことを胸にいだいて 苦難を乗り越えてきました。実際は、心が乱れることもありました。
自分の(召天式の)時には、賛美を沢山歌ってもらえるように、リクエスト
を、もう考えたりしています。
」」
今日も、2曲、明日も 2曲で、4曲しか歌えませんけど、献花の時とかチャンスがあったら、どんどんこの葬儀で賛美ができて 賛美がいっぱいの葬儀に
できたらと思っています。
最後に、ヨハネの6章37節と、11章25節を読んで終わります。
ヨハネ6章37節
父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そして、わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
ヨハネ11章25節
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。